石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第五節 征長の役と南越の陣

是に於いて十二月三日加賀藩の諸將は、士卒を率ゐて京師を發し江州草津に次せり。この日慶喜も亦出でゝ大津に陣し、四日諸藩の隊將を本營に集めて軍議を開きしに、加賀藩永原甚七郎・赤井傳右衞門・武田金三郎を遣はして之に與らしめき。慶喜乃ち部署を定めて、徳川民部大輔を以て右先鋒とし、加賀藩を左先鋒とし、福岡等を中軍の左右に備へしめ、會津を後備となし、別に小田原をして海津を守らしめ、大溝をして自らその封境を嚴にせしめき。時に會津は議を建て、今賊徒上洛の理由未だ明らかならざるに之を討伐せんとするは、決して策の得たるものにあらざるが故に、宜しく詳かに彼等の實情を糺したる後にせんと述べしに、小田原は之を反駁し、賊徒の所業既に那の如く不穩なるを以て、彼我の遭遇するや直に之を撃攘するを妨げずと論じたりき。而して慶喜は略會津の説に左袒し、之を討つと討たざるとは敵の行動を察し時の宜しきに從ふべしとの意を漏らしゝかば、加賀藩の諸將も亦之にし、遂に各部隊の裁量に一任するに決せり。