石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第五節 征長の役と南越の陣

この後齊泰は、慶應元年五月十一日江戸を發してに歸り、閏五月二日更に京師に行きしが、二十二日將軍も亦入朝し、二十四日を發して大坂に向かへり。是を以て齊泰は二十一日また書を閣老に致して將軍の輕々しく征長の役を起すべからざる理由を述べたりき。曰く、去年朝廷の更めて兵馬の權を幕府に委任し給ひし時、將軍條奏して上旨を承けたりしが、その中長藩の事に就きては、將軍必ず輿論を採り公議を盡くし、決を朝廷に仰ぎたる後始めて着手すべしといへり。而して現時幕府長藩に對する體度如何は、實に國家の安危に關する所至大なるものあるを以て、朝廷屢將軍の上洛を促し給ひき。然るに頃者聞くが如くんば將軍の西上するや、駕を京師に駐むることなく直に大坂に赴くと。是によりて考ふるに、不日斷乎として大旆を山陽に進むるの意なるが如し。この事固より衆議を經て決せし所なるべく、特に將軍の威武を以てせば將に速かに効を奏するなるべし。然れども萬一將士の節度に從はざるものありて交戰久しきに瀰る時は、海内の困窮益甚だしく、國力復支ふべからざるに至り、之に加ふるに流言行はれ人心動搖して、天下別に異變を生ずるなきを保する能はず。是を以て將軍今京師の事情に通ずる總督守護職・所司代等を召し、親しく朝意の在る所と長防の動靜とを審問し、然る後將軍の所見を奏し叡旨を仰ぐべし。此の如くにして長藩に對する處置を決せば、天下孰れか之に從はざるものあらん。然るに將軍の策こゝに出でずして、徒らに征討の軍を進むるに急ならば、難問の説必ず上下に行はれ、君臣相背馳し、禍亂日に長じて復底止する所を知らざるに至らんとすと。