石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第五節 征長の役と南越の陣

八月二十二日幕府は又齊泰に對し、速かに出府すべきを命ぜり。是を以て齊泰は九月十一日發途せんことを約したりしが、前日に至り病と稱してその期を延べ、次いで十月二十四日家老前田典膳を江戸に遣はし、武門の面目を維持せんが爲再び齊泰禁闕の守備を命じ、且つ征長の役に關してはが既に準備を終りたるを以て、幕府の前令に基づき強ひて參與せしめられんことを要求せり。幕府乃ち之を斥くること能はず、十一月七日阿部豐後守正外は藩吏を招き、慶寧の退に對する處分は他日之を行ふべきことを保留するも、更めて齊泰京師の警護に任ぜしめ、且つその病少しく癒ゆるに至らば速かに江戸に參觀すべきを命じ、又征長の事に關しては齊泰の代理として長連恭を藝州路の先鋒たらしむべき令を傳へたりき。齊泰は之を以て幕府の譴を蒙るべき危機を脱し得たるなりと解し、同月十八日再び親翰を連恭に下してその發奮を促せり。齊泰また禁闕守護の任務を果さんが爲その代理として老臣横山三左衞門隆平を派し、隆平は翌年四月に至るまでに止まれり。