石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第五節 征長の役と南越の陣

禁闕發炮の變の終れる後、元治元年八月十三日在閣老稻葉美濃守正邦は加賀藩の吏を招き、幕府が將に長州征討の軍を發せんとするを以て、我が老臣長大隅守連恭を山陰道方面の殿軍として石見に進ましむべき命を與へたりき。藩侯齊泰報に接して、この擧實に武門の光榮たるのみならず、先に慶寧が信を幕府に失ひたる不名譽を回復するの好機なりとし、親翰を與へて連恭を警め、將に大に奮鬪して勇名を輝かすべきを命ぜり。然るに同月二十二日に至り卒然江戸閣老は、京都に於ける前命令が事の齟齬に出でたるものなりとの理由を以て、加賀藩の殿軍たるべき任務を解除したりき。葢し慶寧謹愼を命ぜられし後、齊泰は未だ江戸に至りて謝罪の誠意を致さゞりしが故に、今に於いて公役を課するは幕府の威嚴を失墜するの虞ありとの議論ありしによるといへり。

                            加賀中納言齊泰)え
                        加賀中納言家老  長 大隅守(連恭)
    山陰道討手
 一之先    松平相模守
 二      龜井隱岐守
 三      松平右近將監
 中 軍    松平出羽守
  山陰道討手之面々相統候事。
 後 備    長 大隅守
 長州御征伐被仰出候に付而者書面之通相心得、當月下旬より來月十日を限り石見國へ集會指圖相待可申候。尤自彼致妄動候者、不差圖攻入可之候。
  但、人數多少者家之高に應じ、撰兵強卒指出、雜人者可成丈相省可申候。
    八   月(元治元年)
〔元治元年八月御上京一件〕
       ○

 今度長州御征伐被仰付候付而者、御手前儀討手え被差加候段稻葉美濃守殿被申渡候條、可其意候。先以武門之面目不之、於此方忝儀滿足之事に候。然上者乍大儀此方名代与被相心得、紙之人々何卒無遲滯出陣候。其餘横目・使番・兵士・大炮等茂可指添、委曲月番より可申達候。右人敷指揮方御手前可于心候。此度御征伐、防長二州降を乞候儀に相成候へば天下之幸に候得共、必死之極相戰候者實に不容易事と存候。軍中法令を嚴重被相心得、何茂武門之面目抛身命忠勤候儀此時に候。今度筑前守(慶寧)儀引取候始抹茂有之、別而一際奮發忠勤被勵候樣有之度事に候。右筆之趣一統え茂可申聞候。以上。
    八月十七日(元治元年)                        印(齊泰
      長 大隅守(連恭)殿
〔元治元年八月御上京一件〕
       ○

                                 加賀中納言齊泰
 毛利大膳御征伐に付討手之儀、家老長大隅守え於京都相達候得共、先不出張候。
    八月廿二日(元治元年)
〔元治元年八月御上京一件〕