石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

碓井治郎左衞門、諱は顯古、幼名は直吉、梅嶺・魯堂・桂舍・無味齋の號あり。越中今石動中屋嘉平次の弟にして、文政元年十九歳の時加賀鶴來碓井幸右衞門の嗣子となる。既にして笈を京師に負ひ、猪飼敬所の門に入り、研鑚數年の後學成りて郷に歸り、家業を繼ぎて組合頭・算用聞・山廻役等の職に從ふ。治郎左衞門資性温厚篤實にして、勤王の素志を抱くといへども漫に輕擧放談するを喜ばず。常に志士文人をその家に宿泊せしめ交遊する所多かりき。文久・元治の交論勤王佐幕に分かれ、動もすれば危機に瀕せんとせしかば、治郎左衞門は京師に於ける動靜を知らんと欲して屢信書を往復したりといへども、その外間に漏洩せんことを恐れて多くは之を燬けり。明治元年十二月十五日歿す。享年六十九。後大正十三年二月十一日その功を追賞して從五位を贈らる。