石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

野村圓平は通稱次右衞門、空翠又は栖霞と號し、天明四年金澤に生まる。家世々八田屋と稱し、老臣横山氏前田氏以下數十家の日傭頭を業とし、兼ねて酒造を營み、後典舖となる。圓平幼より學を好み、嘗て太平記及び大日本史を讀みて感ずる所あり。安政五年空翠雜話二卷を著し、國體の精華を説き、之が擁護の必要を論ず。因りて衆に示して大に啓發する所あらんと欲し、自ら資を投じ印刻して親善の人に頒ち、又藩侯父子に上りしにその嘉納する所となり、賜ふに金幣を以てせられき。然るに藩吏多く國體の何たるを辨ぜず、空翠雜話の説を以て迷妄なりとし、翌安政六年三月三日命じて原版を沒收せしめしが、圓平は幸に老臣・市吏と相識るを以て禁錮を免るゝを得たり。元治元年十二月二十九日圓平鍼醫久保三柳の加俸の祝宴に列し、歸途石黒千尋の邸に至りて棋を圍み、卒倒して後人事を省みず、慶應元年正月二日に至りて歿せり、享年八十二。後大正十三年二月十一日正五位追贈せらる。

 本朝の有難きは、神統開闢以來綿綿として無變遷、今に至て天下益平安なり。先王の政は後王の政なり。公卿大夫の大法は、上古も今もその法なり。是によりて本朝の神秘といふ事は家々の秘事なり、他の知りて用なき事なり。是が則日本第一不易の大道なり。唐土の如き、匹夫より出で天子となり宰相となる國は、上は天子の事より下は諸臣の事まで皆こと〲く覺ゆべかりけれども、本朝は天子は萬世の君、臣下も萬世の臣なり。故に天子は天子の秘事あり、攝家は攝家の秘事あり、三公は三公の秘事ありて、他の學び覺えて何の用にもたゝぬ事なり。渾て下庶人に至るまで夫々の産業ありて、上下皆その業を守り、萬世安樂泰平の大道なり。唐土の如く匹夫より出て天子を弑しその位を奪ひ、群臣皆その君を弑したる惡逆者を君としつかへる風俗の國とは天地の違なり。夫に宰相をかへる事、朝にその官を授て夕にその位を奪ふ。宰相にても罪あれば之を市に斬り、或は巷にその尸をさらす。加樣の殘忍至極あさましき事は、本朝にては夢に見度ても無きことなり。故にその果は今の如く胡に奪れ、堯舜の正道たえたり。皆けし坊主となれり。蜀山人の狂句に四百餘州罌粟花と作りしを、今の唐人ども是を見て皆泣りとなり。
 或儒家云、今の日本を以て上古の唐土に比する故に事不合こと多し。日本人の習俗を以て聖人の道を誹謗すとも取に足らずとなん。是儒癖の言にて、事の辨じがたきを以てかくいふは、所謂まけをしみなり。いかんとなれば、人情は上古も今日も外國も本朝も替ることなし。本朝いまだ聖人の教の渡らざる先も、親を大切におもふは人情なり。人生るれば兩親の手に養育せられ、その恩を思ひ付ざる人は無し。もしそのうちに惡人ありて、親を何とも不思者も、その者子を持て初めて親の恩をしることなり。是聖人の教をまたずして皆如此。又主人といふものは一家先祖代々より君の御蔭を以て家内安樂にくらし、町人百姓と違ひ星を戴き出て夜半に寢ぬるの勞なく、町人百姓よりは武家として敬ひかしづき、實に箸より落るしづくまでも皆御主人の御蔭なり。いか成る無情の人も此恩を思ひ付ざる人なし。是また聖人の教をまたずして如此。是人情自然の道理なり。然るに唐土の如く、君を弑し子を害すること前に云が如く、人間の大逆無道殘忍この上あるべからず。是を何とも不思、常ごとの樣に行ふこと言語同斷、本朝の風より見ては何といふべきや、魂をけす事なり。
〔空翠雜話〕