石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

堀四郎左衞門、幼名は鎗太郎、諱は政材。馬廻組に班し、秩百五十石を食み、明倫堂句讀師・郡奉行・馬廻番頭を經、後組外番頭を以て慶寧の近習を兼ぬ。故を以て常に慶寧の左右に侍し、その英志を翼すること多かりき。元治元年十月十九日四郎左衞門能登島に謫せられ、その子重之功・音次郎も連座して流刑に當てられしが、年尚幼なるを以て一類預に附せらる。

                               堀四郎左衞門
 右四郎左衞門儀、正邪紛亂過激の説を以て同志を語らひ、彼是致周旋、右連中にては重立候者にて、御側近く罷在彼是御不爲め成儀共有之。右族不屆至極に付能州島之内へ流刑、縮小屋入被仰付

明治元年三月大赦令によりて四郎左衞門の罪を有し、謫所より召還し、二年十月その族籍を復し、原祿三分の二を給せり。後名を四郎と改め、藩吏となり、神職となり、晩年鹿島郡東島村八ヶ崎に任す。此の地絶海の窮境にして教育の任に當るものなく、文化固より普からず。四郎乃ち慨然青年の薫陶に從ひ、寒暑朝暮を擇ばず、常に大聲して咿唔を授けたりき。明治二十九年三月十七日歿す。年七十八。大正六年十一月十八日特旨を以て從五位を贈らる。