石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

淺野屋佐平は、金澤の市人鹽屋次左衞門の次子なり。諱は茂枝、又茂身・茂斡に作る、通稱も亦或は策平とし、或は策柄とす。佐平夙に福岡惣助と交りて勤王の義を唱へ、金澤町會所横目肝煎兼遞送方を以て京師に滯在す。是を以て惣助等が諸藩同志と往復するの書は、佐平常に之が傳達の任に當れり。元治元年六月惣助の捕へらるゝに及び、佐平亦京都より檻送せられて公事場に繋がれ、次いで十月二十六日永牢に處せられき。

                           下堤町町人
                              淺野屋佐平
 右佐平儀、身分を取失ひ、彼是天下國家の議論をいたし、與力福岡惣助御咎中にも立入、惣助儀他の人々と不容易取組の文通致取次候族等、不屆に付永牢仰付

佐平慶應元年四月五日獄中に死す。年五十二。明治二年十月前罪を赦し、三年十一月祭粢料をその家に賜ひ、二十四年九月靖國神社に合祀せらる。