石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

大野木仲三郎、諱は克敏。人持組大野木克貞の次子にして、天保十四年四月十三日を以て生まれ、皇學高木守衞に受けて勤王の志深かりき。嘗て新嘗祭の日に當りし時、仲三郎曰く、今宵至尊蒼生の爲に夜を徹して親祭し給ふと聞く。吾輩臣子の分として豈安眠するを得んやと。是より毎歳新嘗の夜は端座して寢に就かざるを例とせり。元治元年叔父源藏に從ひて上洛し、長藩の爲に斡旋する所あり。後に歸りて八月十四日その家にせられ、尋いで玉井氏の邸に移され、十月十九日切腹を命ぜらる。

                               大野木仲三郎
 右仲三郎儀、浪士輩同樣過激之説を唱へ、長藩等へ立交り、叛逆之徒小島彌十郎を匿ひ候族、不屆至極に付切腹仰付

小島彌十郎は長藩の士にして、仲三郎等が之を庇護せしことは先に言へり。仲三郎死する時年二十二。その辭世に曰く、『身し死なば風となりても我君の梅のよき香を四方に傳へん』、また『色に出でゝ木の葉は散れど果つる身の赤き心はあらはれもせず』と。是より先、仲三郎一日吏に問ひて曰く、我の死を賜ふこと將に近きにあらんとす。然るに我未だ自裁の法を知らず、願はくは之を教ふる所あれと。吏爲に之を説きしに仲三郎大に喜び、自ら習ふこと再三次に及べり。是を以てその死に臨むや、擧措頗る法に適へりといふ。明治二年十月前罪を赦し、三年十一月祭粢料をその家に給す。二十四年九月靖國神社に合祀せられ、同年十二月十七日正五位を贈らる。