石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

是に於いて慶寧は、八月十一日前田直信以下を從へて海津を發し、旅次謹愼の意を表して金澤に向かひしに、松平大貳慶寧を送りたる後、獨その旅宿としたる正行院に還りて自刄し、以て慶寧をして退せしめたる罪を負へり。翌十二日直信、正行院に臨みて大貳の遺屍を檢す。時人山崎庄兵衞が大貳の上に班してその責に任ぜざりしを譏り、落首を作りて曰く、『第一に死ぬべきものが死なずして大貳が死んで何と庄兵衞』と。庄兵衞慶寧に從ひて大聖寺に至り、癇欝の病に艱むと稱してこゝに留りしが、は命を傳へて家老職を免じ、秩二千五百石を削り、閉門の刑に處したりき。因りて時人又謠うて曰く、『目板々々の山崎さまは蜘蛛が御門に巣をかける』と。目板は門戸の罅隙を塞ぐ爲に木片を釘付するを言ふなり。