石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

今般長州家來之者共於亂妨候折節、筑前守(慶寧)病氣重く致出立候處、御手前(奧村榮通)儀爲名代組召連、御築地内罷出、御警衞相勤、奉天機候旨等段々令承知、誠に不容易大變之折柄、彼是配慮苦心之程察入存侯。筑前守病氣とは乍申、御守衞之命を蒙候身として、右樣戰爭最中之節に臨、達捨(タツシステ)にて致出立候儀、難申計殘念に存候。乍併病に而之儀、手を盡され候上之儀、致方なき次第に候。大將たる筑前守右之族に而、衆卒心意不相立紛亂混雜所、御手前直樣出張禁廷を守護致候段、其上之滿足不之存候。大隅守(長連恭)儀も組共爲出立候間、御手前儀者筑前守名代之事、萬事被示合、如此場合に至り候而者奉朝廷候之外無他事儀に有之候。此段圖書(本多)えも可申聞、一統詰之者えも被申聞、此後及戰爭儀も必可之候間、抛身命禰忠勤を勵し、若弱臆之振舞有之輩於之者急度可申聞、何れ茂一致盡力可丹誠候。此旨豫而可申聞置候。以上。

    七月廿八日(元治元年)
      伊豫守(奧村榮通)殿え
〔文慶雜録〕