石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

慶寧退の報に達したる日、藩侯齊泰は急に長大隅守連恭に命じ、上洛して聖安を奉伺し、禁裏を守護せしめき。因りて連恭は、即夜その弟雅樂介連賢(後九郎左衞門成連)及び家士五百四十五人を率ゐて發せり。横山外記隆淑も亦別に齊泰の命を奉じ、慶寧を途に要して再び入洛せしむるの任務を帶びて出發す。二十五日連恭の軍越前府中に至る。時に炎暑燬くが如く、士卒衆多にして行旅意の如くならず。因りて連賢以下をして敦賀を經て進ましめ、連恭は間道より急行し、廿七に至り、昨日着の横山隆淑と共に慶寧の本陣に就きて齊泰の命を傳へたりき。曰く慶寧が事變に臨みて退軍したるは、啻に禁闕守衞の重責を盡くさゞるものなるのみならず、難を避けて易に就くの譏を免れず。實に武門の一大瑕瑾たるを以て、速かに再び入してその任に服すべしと。蓋し齋泰は慶寧の意のある所を知らざるにあらざりしも、一は論の囂々を制すること能はざると、一は朝暮の譴責を得んことを顧慮したるによるなり。二十八日齊泰又書を裁して奧村榮通に與へ、慶寧が退の際能く機宜に處して禁廷を守衞せる功を賞し、自今益奮勵努力して忠誠を致すべきを告ぐ。而して連恭は二十八を發し、八月朔日して建仁寺に宿し、七日參内して齋泰に代り天機を奉伺し、八日前田氏の姻戚たる久我・鷹司兩家及び會津侯を訪ひて齊泰の寄託を傳ふる所あり。次いで十一日榮通は部下を率ゐて京師を發せしを以て、連恭之に代りて九門を警めたりき。

                               長大隅守(連恭)
 京都向御變事に付、中納言齊泰)樣急速御上も被遊度思召に候得共、其以來御病氣に被在候に付、不其儀候。依而御自分儀、御伺天機且御守衞旁、組共上仰付候。若主上御立退に候得者、御幸先え罷越御守護致旨被仰付候事。
    七月廿二日(元治元年)
〔文慶雜録〕
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