石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

これより先慶寧は、長藩匡救の事遂に成らず、危機目睫の間に迫りしを以て、豫定の計畫に從ひ、七月十八日京師を發せんと欲したりしも、老臣等爭ひてこれを諫止せしかば未だ途に上ること能はざりしが、十九日申刻の後遂に建仁寺を出で、山崎庄兵衞・松平大貳以下を武裝せしめて非常の變に備へ、江州大津に至りて宿營せり。この日慶寧の將に出發せんとせし時、長藩の士小島彌十郎は敗走し來り、有栖川宮の使者なりと僞りて我が軍に投ぜり。時に建仁寺の營中騷然として慶寧の指揮を待つ隙なかりしかば、大野木仲三郎青木新三郎相議して、慶寧の命と稱し、彌十郎を禁闕守衞の士品川左門の陣に潛匿せしめき。左門その兵寡くして發覺せんことを恐れ、津田玄蕃に謀りて彼が保護を託せり。戰終るの後左門、彌十郎に言ひて曰く、事のこゝに至れるもの實に遺憾とすべし。然れども我がの先に微力を盡くせるは卿の知る所、願はくは國に歸るの後これを毛利侯に告げよ。これ兩の好を將來に維ぐ所以なればなりと。乃ち夜に乘じ、兵士を附して郊外に護送せしめしに、彌十郎は深く厚意を謝して去れり。