石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

時に慶寧は、その説幕府の用ふる所とならず、從行の士亦多く命を老臣に受け、常に慶寧の耳目を壅塞せるを以て快々として樂しまず、宿痾爲に頗る重きを加へたりき。老臣奧村伊豫守榮通慶寧に謂つて曰く、世子の長藩の爲に斡旋せしこと既に至らざるなし。思ふに長藩過激の徒、之を懇諭するも必ず命に從はざるべし。如かず斷然その周旋を廢し、今より以往專ら禁闕守衞の任を盡くさんにはと。然るに慶寧は、闕下を護るの道は即ち長藩の保護を全くするにあることを斷言し、榮通の議を卻けて用ひざりき。榮通乃ち二十九日書を馳せて齊泰に報じて曰く、長藩の士既に朝暮に抗して畿に迫れり。余を以て時局を見るに、世子が長藩の爲に周旋するもの甚だ理に適へりといへども、遂に目的を達するの期なかるべきを以て、今は即ち斷然之と絶ち、朝命を奉じて屏の任を盡くすを策の得たるものなりとす。然るに世子の侍臣等、慷慨の餘尚初志を貫徹せんと欲し、屢世子に勸むる所あるを以て世子は之に迷ひ、頃者病に罹れるを理由とし、禁闕警衞の士を留めて自ら國に就かんとせり。余以爲く、現今輦下騷擾の際、假令病むといへども急に去るべからず。然るに世子の侍臣は之を不可とするものゝ如し。余深憂に堪へず、敢へて侯の指揮を請ふと。齊泰榮通の言を是なりとし、七月五日書を以てその勞を慰め、託するに慶寧を輔佐して禁闕警衞するの任を以てし、別に榮通をして在諸臣に諭す所あらしめき。