石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

是より先長藩はその請ふ所許されざるを以て、將に兵を動かして趣旨の徹底を謀らんと企てしかば、不破富太郎大野木仲三郎等もこれをし、因幡・對馬兩と協力して長藩を助け、薩摩・會津・桑名諸藩を挾撃せんと謀れり。長藩乃ち富太郎等に囑して曰く、戰端一たび開く時は鸞輿を洛外に奉ずるの要あるを豫期せざるべからざるも、これを移し奉るべき地なきに苦慮せしが、幸にして加賀藩には江州今津所領あるを以て、願はくは先づかの地に軍を退け、鳳輦の至るあらば迎へて之を守護せらるべく、又若し戰状我に不利にして援軍を貴に求めば敢へて一臂の力を假すを吝む勿れと。富太郎等之を諾し、密かに慶寧に告げてその許可を得たり。是に於いて公然提議して曰く、曩に加賀藩幕府に請ひし所皆容れられず、却りてその保護せんと欲するものを防禦せしめんとす。今にして猶京師に止らば、勢遂に我が邪とする者を輔け、正とする者を抑へざるを得ず。これ豈加賀藩の堪ふる所ならんや。且つ今世子の病重くして久しく居る能はざるが故に、別に禁闕守衞の任に當る者を留めて一たび軍を退くるに如かざるなりと。松平大貳堀四郎左衞門千秋順之助等亦之を是なりとし、將に旅程に上らんとせり。