石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

既にして福岡文平高木守衞小川幸三の三士歸藩せんとすとの報あり。同志議して曰く、文平の事を爲すや常に愼重に過ぐるの弊あり。故を以て彼或は世子の上を延期せんとの説を立つることなきを保せずと。乃ち各書を裁して之を激勵せんとせり。然るに當時は監察に命じ、嚴に同志の行動を密偵せしめたりしが故に、その書の途上に奪はれんことを恐れ、同志の一人淺野屋佐平が町會所の郵便の事を掌れるを以て託してこれを送達せしめ、後また萬一に處せんが爲福岡惣助の家に會して議する所ありき。惣助等曰く、今日にして大事を誤らしめんとする者あらば、假令同志たりとも誅鋤せざるべからず。思ふに文平等の金澤に入るは明日に在るべきを以て、宜しく途に邀へてその説を聞き、若し延期に左袒する如きことあらば一撃して直に之を殪すべしと。乃ち抽籤して往く者を定めしに、青木新三郎野口斧吉二人選に當れり。然るにこの夜、三士が已に家に歸り、その意見亦憂ふべき所なしとの報を得たりしを以て、翌朝彼等を永原恒太郎の家に招き、共に議して復命の書を作り之を上れり。その書に曰く、諸藩有志の徒、皆我が世子の上洛を渇望すること久し。これ令急に發すべきの機なり。唯事の成敗は固より豫測すべきにあらざるを以て、隨行の士は正義に殉ずるの覺悟あるものを擇ばざるべからずと。尋いで數日の後、老臣前田直信の邸に會して三士の口述を聽き、翌日側用人山森權太郎も同じく之を招き、聞番役津田權五郎及び岡田助右衞門亦日を期して文平以外の二士を招けり。これ朝幕に關係する事件が聞番役の主務に屬するを以て、その同意を得るにあらざれば實行に移すこと能はざりしを以てなり。同志乃ち期に先だち相會して曰く、聞番との交渉は吾人が主張の成否に關する重大事なり。兩吏にして若し同志の説を容れずんば直にその邸に闖入して之を斬り、然る後徐に計を爲すべしと。その日同志は新三郎の家に集り守衞・幸三の報を待ちしに、權五郎等形勢の甚だ不穩なるを偵知し、悉く二人の言を容れ、次日廳に登りて決を請ひ、上の議初めて確定するに至れり。慶寧隨行の士を擇ぶに及び、不破富太郎青木新三郎これに加る。恒太郎も亦行を共にして偵察の事に從はんと欲したりしが、藩吏之を許さゞりしを以て書を在大野木仲三郎に送り、同志に代りて富太郎を輔翼せんことを託せり。この時恒太郎久しく病みしが、慶寧の事未だ決せざりしに當り努めて奔走斡旋したりしかば、こゝに至りて漸く篤く遂に不歸の客となれり。