石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變


 二月廿二日、夕七時過以山森權太郎、御用番え又々御建白之御下物被渡下、少々御引直に而此通御拾定付拜見被仰付候。依而源藏儀は明日發足之筈之旨も申聞候付各拜見、追付御用番より御返上之事。
 此頃長州御征伐御内評抔と巷説も有之承知仕候。自然實事においては、定而不止事情御座候而之御儀と奉恐察候得共、猶熟考仕候處、其以來麁暴成所行度々有之、公武を不憚重々不屆之至奉存候。乍然其基元を觀察仕候に、實は尊王攘夷を心といたし、國内一致叡慮貫徹いたし候樣盡力可仕と存込、彌攘夷期限天下え布告に相成候に付、初而於長州異船を討、其後續々戰爭におよび候處、是より國中之人氣益粗暴に相成、不測右樣之所行にも至り候哉。且忠義と存込候而仕候件々、不計違勅之樣に成行候より、過激之餘り暴逆之所置も有之樣成行候哉に被存候得共、先達而公武之御爲厚く周旋仕候勳功も有之、其實皇國之御爲を存候より出候事件に而可憐可哀事に存候。其上一昨年厚叡慮を以大赦仰出候に付、皇國之御爲と存込其所行法憲に相觸候而罪を得候者有之候はゞ、委細取しらべ名前等認出候樣と之被仰出も有之、匹夫之上迄も如此被仰出置候處、况や長州數世之名家に御座候へば、枉而御仁免之御取扱に被成置、唯公武之御厚意を以御教諭在候者、恐懼服從可仕候。左なき時は忽中國兵馬之巷と相成、人民之苦み海内之疲弊、加之野心之徒其虚に乘じ、東西に蜂起仕間敷にあらず、浪士潛伏之機一時に發し、竟に天下之亂と相成可申候。然るに舊冬横濱鎖港之使節御指立に而出帆仕候樣に承り候へ共、如何樣之模樣に御座候哉。定而容易に承服も仕間敷、若承服不仕時者嚴を以斷然と御鎖不遊しては、御國威も立不申、左候時は必定戰爭に及可申。其節に至り候而者武人は一人も大切に保育有之度儀に御座候處、只今長州御征伐と御座候ては、双方之死亡尤多可之、討候も被討候も共に皇國之人にて、莫大之人命相亡、國に益なきのみならず疲弊如何計とも難計、左候而者國内爭擾之弊害によつて夷狄防禦の力も自然と不全、不知々々夷狄之術中に陷り候儀歎息の至に御座候。畢竟横濱鎖港之御成功顯れ候はゞ、天下之人心においても自然と服從可仕儀と奉存候間、唯々皇國之御爲と被思召、今度長州御征伐之儀は枉て御憐愍被成置候樣奏存候。只今之形勢、國内に兵革を動され候而者甚不御爲存候に付、不憚愚存之趣無腹藏申上候。以上。
    二    月(元治元年)                    加賀中納言齊泰
〔舊金澤藩事蹟文書類纂〕