石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

當時藩士中に少數の勤王論者ありたることは前述の如くなるが、他の大多數は固より佐幕を是とする者にして、その言ふ所は、三世利常の家光に服從を約してより幕府とは直接に君臣の誼あるが故に、今に至りて決してこれを易ふべからず。朝廷との關係に至りては寧ろ間接にして、親疎の程度頗る異なりといふにありき。是に於いて不破富太郎等の勤王論者は、世子慶寧が英明の資を有するを以て之を輔導して大成せしめ、延きて一の方針を確立するを得策知りとし、乃ち東西の風聞を得る毎に必ず一通を寫し、久徳傳兵衞を介して之を上れり。而して慶寧の意は、固より幕府の措置に滿足せざりしといへども、その地位未だ藩政に關與するを得ざりしが故に自ら制して之を發表せざりき。