石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

是に於いて小川幸三は、情の因循姑息天下の形勢に副ふ能はざるを慨し、文久二年八月二十四日金澤に歸り、二十五日郡奉行内藤十兵衞に就きて封事を上り、加賀藩が今日の状態を持續する時は、政界の勢力遂に薩長の掌握する所となるべきを以て、藩侯の急に準備を整へて上洛せざるべからざる理由を建言せり。

  乍恐奉言上
 一、此度薩長之一擧に付、公武の御間、醜夷之御處置、御弊政一新之機會に相及候老申上る迄も無御座候得共、元來此方樣(前田氏)菅丞相之御苗裔、殊に御元祖(利家)樣嘗而被天下之治務候より、連綿列之牀頭に被在、且御當代(齊泰)樣希有之御叙爵實に上下之望之所歸に御座候。然るに薩長數ヶ年之誠忠粉身至今時其機會に被投、首として義を唱列之先を被取候故、上下之頼望名器之二大柄に殆ど歸嚮仕候儀、如何にも口惜き儀に御座候。已に於京都諸藩之烈士を始草莾蚩々之民迄も、乍恐此方樣之御淵穆は不存候而、唯色々妄言漫評仕候者往々御座候處、忽然御上洛之御沙汰に相成、已に達叡聞御滿悦不一方、被玉指候由窃に承候。且又諸藩之間士夥敷上致居候處右之御沙汰承り、薩長之間と申、搢紳方之模樣と申、公武之御間と申、中々只今之中に議論一定仕間敷、何れ加州樣御上洛之上に而事情相定可申候間、一先致歸國、御上洛之上早速可之由申聞、過半引取申候。然者此度之御上洛、如何之御趣意歟不存候得共、何れ御參内も可御座、三公方・議奏衆御對談も可御座、大膳大夫(毛利)樣御面會可御座、島津三郎も御恩命可御座候得者、特に二之意表に出、尊天朝幕府、海内共和之御廟算御素定被御座上洛に相成候得者、誠に被叡慮而耳ならず、被幕府候而も一大勳功之儀に而、天下之人望集散之機會此一擧に御座候而、此機を失候而者難再得儀に御座候。萬一小嫌に御拘滯被遊、御上洛御中絶に相成候而者、乍恐闕天意之聖顧、如何可叡慮候哉、誠恐多御事と奉存候。或鷸蚌之説を唱候者も御座候得共、此は戰國分裂之時之事に而、本朝正統一姓之聖天子御宇之形勢に不相協、且又大樹公御上洛に就而此方樣御上洛遊候者御常例之御事に而、方今之形勢と懸絶仕候而非常之勳功を取天下之望を收之規模に者無御座候。左すれば一日も早御英斷可遊と奉存候間、乍恐聊愚存見込候趣左に條陳仕候。
 一、公武今迄御矛楯之所由は、唯鎖國開國之二論に生じ、幕府當路之方々彌増無爲之御所置、至甚は沿海測量御許容、或品川要害に虜舘御營造に付、彌天意不霽、鎖國之叡慮御確執被在、公武之間御矛楯に相成候。扨又鎖國之叡慮御確執と申儀は、全御矛楯より所生に御座候而、本來御拘滯と申儀に而者無御座樣に奉伺候。然ば鎖開之二策何れにても、天下之公議に被就は必然之事と奉存候。
 一、長藩上書に、奉鎖國之叡慮航海之一論候趣、於時勢愉快之樣に御座候得共、是亦妄に航海と申而耳にて、彼我之勢を諳せず、必勝之理を得ざれば、却而大害を招候樣可相成者勿論、徒に時日を延、其中内外之異變難計候。
 一、公武御合體と申儀、實に萬世不朽方今之急務之御儀に候得共、唯御合體と申のみに而、御合體相成候所置如何と申途に御全策出ざれば、守株膠柱の勢に而兎角一新之場合に難至、京都に而者依然として搢紳家之御中にも、孰れは御所方孰れは關東方などゝの異論相生、天下之公論を却而暗昧之御所置等有之、不穩事に候。且又幕府にも正義之方々御復起に相成候と雖も、唯表者遵奉之形に而内分は御伺察之模樣も御座候哉に被存候。か樣御座候而者急速御合體に難相成而已ならず、其内如何樣之牆禍相生候哉も難計被存侯。
 一、浪人と稱候者、元來忠憤義志より起候得共、兎角好事者衆、動もすれば時情に不協議論申唱、搢紳之御方も往々被惑候樣之事有之、天下公議に於而不宜儀も御座候間、薩長に屬候分は兎も角も、未何れへも歸不申候者、唯今之内に撫安之御處置無御座而者、彼是種々之紛擾を構へ、至其甚者自給も難相成處より四方に散、或は妄に夷人を侵、或は愚民脅誘等仕候樣之振舞無御座とは難申候。
 右之條々方今之急務と奉存候間、此度御上洛に相成候得者、申上る迄も無御座儀に候得共先豫め御廟算相立、天朝より幕府へ御仕向如何被遊候得者幕府も御安固に相成、幕府より天朝へ如何被成候得者御敬奉之道相立、君臣忠恤之理相定可申、且醜夷所置之如きは結局如何の途に出る之御成算は勿論、搢紳方之御中何れ歟可議何れ歟可耳目と申事など、略御豫定之上御上洛に相成不申而者相成間敷。兎角搢紳之御方は御薄祿に御座候故、動もすれば御心變等出來、事情之患害を招候事無御座とは難申候。扨又別而管見仕候儀は、上下一和と申事、於當時之光景中々不容易事に而、天延幕府を始め奉り各御異同有之候故、一方に從ば一方は不協、此場合に確然の御英斷に而泰山の御所置に不相成候而者、御上洛周旋遊候共、徒に時日を引候樣成行候而者天下之望を失而耳ならず、徒に御國費相崇(カサ)み可申と奉存候間、更に御成策も可御座と奉存候。私儀草莾之愚人として奉堂々盛府、斯留鄙言言上候事誠惶之至に御座候得共、先年より京師に寄居罷在、方今之光景有望左看寒心仕候事に御座候庭、此頃略見聞仕候儀は已に一々京都御屋敷え御達申上置候得共、尚又愚存見込候趣奉言上、大海之涓滴にも不相當候得共、奉累代之御國恩度宿願に御座候間、不萬死狂擧仕候。萬一寛大之御處置を以御取上に相成、右之條々愚存之趣、尚又御詰問被仰付候得者冥加至極難有奉存、管見可及丈け奉言上度奉存候。恐惶叩頭死罪多罪。
〔小川幸三建白書〕