石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第四節 元治の變

文久元年金澤の市人淺野屋佐平京都に至る。佐平は郵便を業とする者なりしが、固より時事に志ありしを以て、海内の形勢に關して注意を怠らず、同二年薩摩の島津久光が上洛せんとする風聞あるに及び、屢攝の間を往返して實否を探り、録して之をに告げたりき。尋いで京師遊學せる醫師小川幸三駒井躋庵等亦陸續時事を報道する所ありしに、藩吏初めて輦下の騷然たるに驚けりといふ。既にして久光は勅使大原重徳を奉じて東下し、長藩の毛利定廣亦朝廷周旋する所ありしかば、京師の政界は全く二の活躍舞臺たるが如き觀あり。海内第一を以て自任する加賀藩がこの際何等の運動を試みざるは、世人の齊しく怪訝に堪へずとする所なりき。且つ是より先將軍家茂は、六月久世大和守廣周の議によりて將に上洛せんとするの意あることを發表したりしが故に、藩侯齊泰も亦隨從せんことを豫期せしが、幾くもなく廣周は閣老を免ぜられ、之に代れる板倉周防守勝靜は反對の意見を有して將軍の上洛遷延行はれず。加賀藩の時局に處する方策も之と共に何等の進捗を見る能はざりき。