石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第三節 錢屋五兵衞

從來坊間に行はるゝ錢屋五兵衞の傳記に據れば、彼が豪富を致せる所以は主として外國貿易に基づく利益に在りとせられ、而して偶流毒事件によりて積惡の暴露するや、その連累たりし多數の藩士自裁を命ぜられ、且つ錢屋が蓄積したる金の額幾何にして、漕運の爲に使用したる大小船舶の數若干なりと詳述せらる。抑此くの如く一般に信ぜらるゝに至りたるものは、何等かの典據なかるべからざるが、そは實に當時江戸に行はれたる聞書なりとす。この聞書は、或は加州石川郡宮之腰浦錢屋一件と題せられ、或は前田領珍説といひ、その内容また隨ひて多少の異同なき能はずといへども、要するに轉寫によりて生じたる差違に外ならずして、その流布の範圍殆ど全國に亙れり。然れどもその傳聞の不確實にして眞に道聽塗説に過ぎざるを以て、日附・人物殆ど誤謬ならざるはなく、特に米穀八萬千五百俵にしてその量三萬五千四百石と算する如き、全く加賀藩の事情を知らざるものゝ記する所たるを知るべし。而もこの譚一たび傳はるや、世人その奇異なるを喜び、之を事實と信ず者多きに至れり。

      嘉永六癸丑歳五月廿五日頃御沙汰ニ而松平加賀守樣御領分錢屋五兵衞一件
 一、加州樣御領分石川郡宮之腰浦錢屋五兵衞と申者、年來有徳に暮し候者に御座候庭、四五年已前、石川郡御領内之内に七里程有之候沼御座候處、水切落し新田開發致、御益筋に相立候と申唱へ彼是取調候趣、右近邊七ヶ村程之者共、日々沼に而魚漁を渡世致候に付、故障筋申立迚も成就不仕候に付、昨年暮とか毒水を流し魚類不殘殺し候由。然處右村方之者共、右始末を不存に付、乍不審死魚を拾ひ集め商賣仕候處、食當り致候者多く有之、又鳶・烏迄も死亡致候に付猶不審相立候内、右五兵衞御召捕御吟味有之候處、前條之趣荒々及白状、引合之者共數多有之、嚴敷御吟味中に御座候内、江戸表西丸炎上に而御普請に付諸國御用木加州樣も被仰付、御領山中に莫大之槻林有之、地元之者へ御尋御座候處、加州樣御用木之由申立候に付、掛り御役人より加州樣へ御掛合相成候處、一向御承知無之儀に付夫是と相糺候處、右五兵衞先年加州樣御名前を以買入候始末相顯、旁不埒に付右手續相調候處、羽州秋田・奧州弘前并松前等之出店有之、手代小者等三四十人づゝも地元に而抱込、種々手廣に商賣致、年來異國交易專に致候事共相顯、昨年中金澤表より御役人五十人程、近々秋田并弘前・松前等え出役致候由候。右者不正一時に相顯、不容易始末御座候由相聞え候に付而者、御吟味之品數多に御座候得共、先第一近年海防御手當之儀公儀より嚴重に被仰出之候處、御領内に右樣之不屆者有之しを此儘差置御手延に相成候に而者、全く加州樣御役人之手落に而、公儀より御手入に相成候而者恐入候に付、是非々々始末大躰御取調べ相濟候迄御參府難爲思召、當時公儀へ御領分三ヶ國御巡見とか申事に御願之上、當八月中より御參府之由。先夫迄者日々御評定に出座有之、專交易御取糺有之由候。相調別紙名前書之銘々、交易又者新田開發之一條に而引合候者に御座候。
 一、五兵衞當時之儀、宮之腰浦本住宅御取調有之、身上之儀老未だ員數相知不申事に御座候。
 一、交易一條も諸國に引合之者共近く出來、往々老公邊御吟味相成候而者不行屆之由風聞仕候。
 一、別紙書付之儀者金澤御城下商人より承り候。城下商人仲間より差越候書付に而者、前後譯り兼候間、金澤表え商賣向に而罷越候者へ相尋候處、委細前條之趣。先此段承合候に付申上候。且又羽州・佐州・加州沖合を折々異國船相見え候者、右五兵衞交易に付漂泊致候類相聞候。猶又近々之始末虚實承り合可申上候。
      加州樣宮之腰浦錢屋五兵衞一件に付御家來切腹之銘々
 二千五百石       篠原主殿
 二 千 石       同 主膳
 千三百石        同 儀右衞門
 千   石       同 源七
 八 百 石       同 帶刀
 四百五拾石       同 與惣右衞門
 千   石       由井專右衞門
 八 百 石       奧村甚太夫
 五百三拾石       法通善之丞
 四百三拾石       淺野藤之丞
 四 百 石       高木彦左衞門
  外に壹人名前不知。
     錢屋五兵衞所持之品々
 一、大 判       九拾九枚、三拾箱
 一、小 判       二千六百六拾六枚
 一、古 金       三萬六千六百兩
 一、二歩金       九萬千三百三拾兩
 一、二朱金       十六萬五千三百二拾兩
 一、小玉       一石二斗、此目方二千百八拾三貫目
 一、加州御用札     七拾貫五百二拾五匁
 一、當百文錢      五千三百二拾枚、五百三拾二貫文
 一、取替金       二拾七萬五千三百兩
 一、三ヶ國家土藏有之  三萬五千四百兩
  金計〆七拾壹萬六千九百廿壹兩壹歩餘
 一、四文錢       千六百六拾貫文
 一、大 豆       二千四百石
 一、小 豆       五千三百石
 一、油         二千三百樽
 一、三ヶ岡持高     八萬五千三百石
 一、有 米       三萬五千四百石、但八萬千五百俵
      船  具
 一、二千五百石積    四 艘
 一、千五百石積     六 艘
 一、千石積       八 艘
 一、八百石積      二 艘
 一、五百石積      十三艘
 〆三十三艘
 一、焰硝藏       一ヶ所
 一、唐物藏       一ヶ所
 一、土 藏       七十八ヶ所
 一、諸道具       數不
  〆
    嘉永六癸丑年               當 人   五 兵 衞
                                 年八十餘
                         忰     喜 太 郎
                         二 男   八 之 丞
                         三 男   由   藏
 一、當人忰等之儀者逆、外三ヶ國出店之手代始前髮に至迄御仕置百六十八人、右之内獄門・打首有之。右江戸三井より來書、實正之書候間御覽候御方者御承引被下度候。
    嘉永六癸丑歳八月廿八日
〔前田領珍説之寫〕