石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第三節 錢屋五兵衞

叙上の諸説は皆五兵衞外國貿易を爲せるに非ずやと疑ふ者の引用する所とす。但し從來その貿易を立證せんが爲に傳へられたる説話中、全然誤謬に屬するものも亦無きにあらず。例へば五兵衞の娘りうの子清水九兵衞が明治十九年の頃人に語りたる中に、天保二年五兵衞はその船に米穀を滿載して航行せしに、偶暴風に遇ひ一島に漂着せり。時に正月元旦に當りしを以て船員は餠を製し祝盃を擧げたりしが、その地の氣候極めて温暖なりしを以て皆單衣を着けたりき。この時交易の資として大坂にて兩替せる花降銀一萬兩を齎らしゝが、五兵衞は之によりて毛氈・木綿・繻子・緞子・更紗を購ひ、歸帆の後又大坂にてこれを賣却したることありといへるが如きは、弘化二年喜太郎の持船に乘組める沖船頭次兵衞以下十三人が房州沖に於いて難船し、七ヶ月の後仙臺に歸着したるを誤り傳へたるものにして、その漂流者は五兵衞にもあらず、又航海者が漂流せりとて直に之を以て外圍貿易を實行したる左劵とも爲し得ざるなり。この漂流日記は、今大部分を失ひたるが故に、内容の詳細を知ること能はずといへども、尚序文と凡例とによりてその大體を推考し得べし。
東洋漂流日記序
 弘化二つの年九月、宮腰錢屋姓は橘氏、此家亭主并隱居、親子共運強くして近年至て立身有て、身分も重く格式を賜りたる家なり。此家の持船廻船の内一艘、東洋に數月漂流せしが其運よく、異國何方へもよらずして、翌弘化三つの年三月仙臺領の内へ歸帆せし始末、珍らしき咄故爰に愚昧の言の葉を以て記し置而已。
    弘化三丙午五月               編者 水邊逸民 河合篤治
      凡  例
 一、津輕青森より北海を登る心懸の次第。
 二、同ナヤウロクより走戻りの次第。
 三、同青森にて再東海より江戸へ登ることの次第。
 四、松前箱舘にて汐路案内の者を乘せ出帆の次第。
 五、南部濱より仙臺灘・常州灘より下總犬吠ヶ端廻り、安房崎近にて大雨風となり吹流されたる次第。
 六、東洋に數月漂流の次第。
 七、翌年三月假道具にて歸帆の次第。