第五章 加賀藩治終末期
第三節 錢屋五兵衞
五兵衞等裁判の際、その局に當りたる本多求馬佐・淺野周左衞門・石黒堅三郎等の談によれば、本件糺彈の時五兵衞に對し貿易に關する訊問を試みしことあらず。然れどもその闕所處分を執行する爲彼の邸宅に赴きしに、厚硝子及び古渡にあらざる優等の唐紙ありて、當時決して我が國に見る能はざる物なりしが故に、これを番頭に質しゝに長崎より輸入せるなりといへり。又その帳簿中に、赤合羽數萬枚を製造せしめたることを記載するものありき。赤合羽は藩士の奴僕をして着用せしむる桐油紙製の雨衣なり。而して錢屋の帳簿は、凡べて收支頗る明瞭に記されたるに拘らず、この赤合羽に就きては入るを記して出づるを載せざりしもの最も怪しむべし。且つ當時海内の諸侯、加賀藩以外に赤合羽を用ふるものあるを聞かず。縱令これありするもその需用數萬の多きに達するものあるべからず。恐らくは外國に輸出する商品たりしにあらざるかといへり。
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