石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第三節 錢屋五兵衞

是より後喜太郎は獄に在ること五年なりしが、その間喜太郎の女子ちかが屢父に代りて入獄せんことを請ひしを以て、は終にその孝心の厚きを賞し、安政四年十二月二十四日特に喜太郎を赦して出獄せしめ、又佐八郎はその妻てい、九兵衞はその子九十郎の代牢を出願せしにより、同じく赦免の寛典に浴したりき。而してちかの篤行は、特に普く世人の稱する所となり、明治の初年東京に於いて發行せる錦繪にすら之を描くものありき。

 私儀御役所(ちか)え罷出、御願申上度儀奉申上候處、願之筋有之候はゞ町役人を以願出候樣被仰渡、奉畏候得共、先年より一類共等より度々願出候而も、何等の被仰渡も無御座候間、何れ今度は御直に申上度段々奉申上候所、御取上被下、願之筋申上候樣被仰渡畏候。
 私儀、今曉御貸屋え罷出候圖りに而宅を出候儀に而者無御座、實は父喜太郎御咎被仰付置候故、何卒御慈悲を以御免之御沙汰御座候樣常々奉存、迚も御奉行所(宮脇町奉行)よりも度々御願被下候由も被仰渡御座候得共、急々御沙汰も無御座候付、此上は神佛をねんじ可申与心付、先年より宮腰海禪寺之天神樣え心願を懸居、當年者御先代(利常二百年忌)樣重き御法事に付、格別大切之御赦御座候由承候に付、此度者何卒御免之御沙汰御座候樣と天神樣えも彌増ねんじ上、一昨日(十月十二日法要)迄相待暮居候處、終に父御免も無御座、當惑仕昨日より打臥罷在、所詮此世に而者對面も不叶事と存、神樣之御利益も急に無御座代牢も度々御願上候得共御聞屆無御座、此上は存命仕何の甲斐も無御座、今一度天神樣え參詣可仕と心付、夜前宅を忍出天神樣え參詣仕候得共、段々相考候處、此間大切之御赦にも御免不仕時は、此末毎(イツ)まで相待居候而も、月日のたつ計にて父の助命も無覺束、身投仕候より外無御座与存、直に御船小屋下川え身投可申と、川淵(縁)をゆきゝ仕内段々夜も明方に相成、人通りも御座候に付如何可仕与存候内、又々相考、只今命を捨候事やすく候得共、身を投候とて孝道之立と申事も無御座、其上父に對顏も出來不申、跡に而親共如何相嘆可中、父に對面不叶迚命を捨、跡に而親共之歎の事を思出し候得者、誠に如何と了簡も定り不申内風と心付、今一度御奉行樣え御願申上度与存、御貸屋え罷出候而、何卒先年より御願申上候通り、何れにも御慈悲を以代牢之儀御願被下、父代りに私入牢仰付下候へ者、此上も無御座難有事に奉存候間、急速御願申上候。先年より度々御願も被下候處、又々御願申上候儀も恐多く候得共、父喜太郎御咎被仰付置候而より只今迄對面仕度事而已にて、暫も忘がたく父に逢申度、最早此上者私儀如何体に相成候而も、御上え御うらみ懸不申候間、御慈悲を以只今私御召連、御願被下候樣幾重にも達而御願申上候。
 右奉願上候處一々御聞被遊、願之趣早速夫々相願可遣、依而一類共御呼立御引渡被成候間、罷歸候樣被仰渡に御座候。
  今曉宅を出候時再び歸り不申了簡にて出候間、御召連被下がたく儀に御座候はゞ、何と歟被仰渡候迄、軒下に成とも御指置被下候樣申上候。
 右申上候處、軒下に指置候而も指急御下知有之ものに而も無之、何分一類共に引取、穩便に相愼罷在候樣、段々御慈悲之被仰諭之程奉恐入、被仰通奉畏候。依而口書上之申候。以上。
    巳十月十四日(安政四年)         錢屋喜太郎娘當時一類厄介  ち    か
      宮腰町御奉行
〔錢屋一件文書〕