石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第三節 錢屋五兵衞

按ずるに本件に關して訊問せられたるもの、錢屋五兵衞・同喜太郎・同佐八郎・同要藏・錢屋手代市兵衞・要藏下人五右衞門・同與三・石川郡宮腰町虎松・大野村喜助・五郎島村與三兵衞・同村三九郎・畝田村與助・同村彌助・觀音堂村八郎兵衞・笠舞村九兵衞・同村長右衞門・同村忠兵衞・忠兵衞妻つぎ・曾谷村文右衞門・文右衞門子文太郎・河北郡東蚊爪村佐兵衞・同村伊右衞門・同村又右衞門・同村喜三右衞門・同村四郎兵衞・八田村儀兵衞・大場村伊助・内日角村勘兵衞・同村仁助・指江村孫兵衞・孫兵衞家人孫二郎・領家村新右衞門・鳳至郡甲村理兵衞・腰細村久次郎の三十四人にして、その中死刑に該當せるもの五兵衞・要藏・孫兵衞・市兵衞四人なるも、五兵衞と孫兵衞とは裁判進行中に死せるを以て實刑を科せられず。永牢に處せられたるもの喜太郎・佐八郎・九兵衞・喜助・久次郎五人なりとし、又未決中に死せるものは文右衞門・佐兵衞・理兵衞・勘兵衞四人にして、その餘の二十一人は嘉永六年十二月六日を以て釋放せられしなり。蓋し司直の職に在る者審理の餘その情状を推斷して以爲く、石灰を湖中に投じたるは孫兵衞の建策に出で、而して五兵衞・要藏二人之を採用せしなりと。故に五兵衞と要藏とを主謀となし、孫兵衞を教唆者として並びにこれを磔刑に當て、且つ市兵衞は錢屋手代にしてその倉庫を主管する者なるが、要藏等の密旨を受けて許多の石灰を提供し、以てその事を助せし者に似たり。故にその刑主謀より下すこと一等。九兵衞は新田裁許の職に居りて新開地の主事なり、その一切の事固より與り知らざるべからず。故に石灰投入に關して縱令親しくその議に參畫せざるも亦粗聞知すべく、同職文右衞門が一たび尋問せられて憂慮措かず、竟に縊死してその跡を滅せし状あるが如きも亦以て情實を察すべきに似たり。喜助の口供僅かに二回にして未だ委細を自首するに至らず、故にその關係の淺深を計るに由なし。然れども郡奉行等が獄を公事場に移しゝ時の上申書中、五兵衞・要藏・孫兵衞・喜助四人を主謀となしゝは、此の時既に事實の認知すべき者ありしに因るなり。久次郎に至りては、糺問口供等一切の書類の存する者なくしてその罪状を知る能はざるも、市兵衞等の口供によりて察するに、彼は松前地方より毒油を輸入せりとの嫌疑を受けたるものし如し。これを以て九兵衞等三人並びに死刑より一等を下して永牢に處せられしなり。その他の被告に至りては各關係する所輕重大小の別ありと雖も、皆要藏の使役する所となり、又は孫兵衞の指揮に從ひしものにして、自己の意に出でたるに非ざるを以て悉く釋放せらる。喜太郎と佐八郎とは初よりその事に關係せず、毫も共謀の形跡なしと雖も、五兵衞の罪已に磔刑に當れるを以て父子連座の法に從ひて終に免るゝを得ず。の法、凡そ死刑に處せらるゝ者は必ずその家財を籍し、重きは併せて家名を絶ち、家族を擧げて一類預となすを常とす。而して喜太郎が永牢にして死刑に非ざるに拘らず、亦その家財を籍し家名を絶たれたるは父五兵衞の罪によるなり。孫二郎なる者は孫兵衞の義子なるを以て、孫兵衞にして磔刑に當る上は亦連座の責を避くる能はざりしも、實際之を免れ得たりしは彼が寄食者なりと主張したるに因り、藩吏その事實ならざるを知るも強ひて追窮する所なかりしなり。凡そ要藏以下の處分は、之を今日より見れば過重の感あるを免れずといへども、流毒の禍害世上に施き、公衆に及ぶこと最も大且つ廣きを以て、之を放火と同一程度に置き、殺人よりも重く、磔刑を適用すべしとせる當時の律例によりしなり。但し藩吏が認めて流毒となしゝ所の石灰投入が、果して魚族死滅の原因となりしや否やに就きては多く研究する所なかりしを以て、この判決に到達したる前提に於いて必ずしも誤謬なきを保すべからざるなり。