石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第三節 錢屋五兵衞

かくて郡奉行等は、十一月二日を以て被告の口書八十七通を公事場に送附したりしが、公事場裁判はその後久しきに亙りて繼續し、公事場奉行前田外記・岡島左膳・石野右近・本多求馬佐、公事場横目役淺野周左衞門・堀忠兵衞之に干與せり。而も要藏以下皆決して流達の事實を白状するに至らず、纔かに指江村孫兵衞の指揮によりて石灰を湖中に投ぜることを漏らしたる者あるのみにて、事態益紛雜に陷り、關係する所亦頗る廣汎に及べり。これを以て審理遷延して朞年を超え、終に嘉永六年十二月六日要藏を磔刑、市兵衞を梟首に定めて、五兵衞と孫兵衞とは已に獄死したるを以てその屍を醢にし事件の落著を待ちたりしが、彼等も亦磔刑に當るといへども實刑を科せざることゝし、喜太郎・作八郎は各永牢となり、喜助・久次郎・九兵衞も亦之に同じく、次いで同月十三日要藏と市兵衞の處刑を宮腰に於いて執行せり。葢しの制、磔刑又は梟首を命ぜらるゝものは、通常之を金澤の郊端に於いてしたるも、特に重罪と認めらるゝものに在りては居住地に於いて執行し、之を所・所獄門といへり。要藏の死せし時年三十三、市兵衞は四十六。今の金石町の北數町、亭々たる孤松の在る所即ちその刑場たりし地なりといふ。

                     宮腰町錢屋喜太郎手代  市  兵  衞
 不赦之御沙汰、於刎首之上梟首
                     石川郡寺中村      要     藏
 不赦之御沙汰、於宮腰領之内
 右之者共、先達而於公事場禁牢申付置、遂吟味言上候得者、落著如斯就仰出、今日其通申付候條被其意、要藏儀者家財闕所申付、市兵衞儀家所持罷在候はゞ是亦家財闕所申付、家所持不仕候はゞ所持之品々闕所申付。前々之通帳面二册同樣、白紙も一枚宛綴込、夫々可指出候。以上。
    丑十二月六日(嘉永六年)                 本多求馬佐
                          石 野 右 近
                           岡 島 左 膳
                           前 田 外 記
      齋藤與兵衞殿
      篠島 左平殿
      前田彌五作殿
      奧村 典膳殿
      篠原平三郎殿
      淺香 嘉門殿
      坂井 勘藏殿
      近藤 兵作殿
      石黒堅三郎殿

       ○

                           宮腰町錢屋
                             五  兵  衞
                           河北郡指江村
                             孫  兵  衞
 右之者共先達而禁牢中致牢死、兩人共於存命は宮腰領之内に於てに可仰付處、致牢死付不其儀旨被仰出候。被其意、右兩人家財闕所申付、前々之通り帳面二册同樣に、白紙も綴込可指出候。
 一、錢屋喜太郎家名斷絶之儀可申渡。然上は家財支配人え取揚、御算用場奉行え相違、指圖次第相心得候樣可申渡旨被仰出候に付、此段申達候條可其意候。以上。
    丑十二月六日(嘉永六年)                 本多求馬佐
                           (下略)
      齋藤與兵衞殿
      (下略)

       ○

                           宮腰町錢屋
                             喜  太  郎

                           同人養子
                             佐  八  郎
                           右喜太郎下人、石川郡大野村木津屋
                             喜     助
                           能州鳳至郡腰細村
                             久  次  郎
                          石川郡笠舞付、新田裁許
                             九  兵  衞
 右之者共、先達而公事場に於て禁牢申付置、遂吟味言上候得ば、五人共不赦之沙汰永牢申付旨就仰出、其段申渡牢屋に指置候。
    丑十二月六日(嘉永六年)                 本多求馬佐
                           (下略)
      齋藤與兵衞殿
      (下略)

       ○
拷   札
                           石川郡寺中
  はりつけ                       要     藏
 此者誰彼へ申談、粟崎等潟之内へ毒を爲入候趣、一件之者共夫々申顯、徒黨棟取紛候處、度々拷問之上にも不申顯、不屆至極徒者に付如斯申付候也。
    十二月十三日(嘉永六年)

       ○

                           石川郡宮腰村錢屋喜太郎手代
  梟  首                       市  兵  衞
 此者粟、崎等潟之内へ寺中村要藏等毒を入候一件荷據之儀無紛處、度々拷問之上にも不申顯、重々不屆至極徒者に付如斯申付候也。
    十二月十三日(嘉永六年)
〔錢屋一件文書〕