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石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第三節 錢屋五兵衞

流毒事件嫌疑者の悉く捕縛せらるゝや、は事件の郡方所管に屬するを以て、改作奉行篠原平三郎・近藤兵作・石黒堅三郎、郡奉行前田彌五作・坂井勘藏、宮腰町奉行菊池常三等に下吟味主任を命ぜしに、彼等は先づ横目の立會を得て、宮腰及び寺中村に於ける錢屋の邸宅を搜索封鎖し、尋いで金澤御算用場の白洲に於いて審判を開始せり。この法廷に於いては五兵衞・要藏・喜太郎・佐八郎以下皆訊問せられ、その調書は、錢屋五兵衞詮議留と題して現に保存せらる。而して五兵衞より得たる前後三回の口書は、この事件の内容を闡明すべき最も重要の資料たるを以て、今之を左に録す。

                          宮腰町錢屋喜太郎
                               五 兵 衞 口 書
 私儀、先達而御役人御指向御引揚、御縮所に被入置、御引出御糺之趣在體可申上旨被仰渡畏候。潟之内魚死候儀、私・要藏所爲之由御聞前有之。私等手懸け不申共及指圖候に而可之、有體可申上旨御糺に御座候。
  右樣之儀、一切覺無御座段申上候。
 右風評承り候儀無御座候哉与御尋に御座候。
 八月廿七八日頃私受地別宅に罷在候而、初而潟魚死候儀、要藏所爲之旨風評及承申儀に御座候。
 右は誰より承り候哉与御尋に御座候。
  誰より承り候哉、申聞候者慥に覺無御座候。
 不容易風説之所聞流しに致し、申聞候者も覺無之与申上候儀、不都合之申上方如何相心得候哉与御察當に御座候。
  身に當り候而聊覺無御座、且要藏儀右樣之儀可仕筈も無御座候に付、心外には存候得共深く心を留不申故、申聞候者名前も覺無御座候。
 身に取覺無之儀に候はゞ彌心外に存、尚更申之者之手前も得と承り可申處、名前をも覺無之与申儀は、身に取急度覺有之事故深く心を留め不申儀、右申上方に而は彌私共所爲に而可之与被思召候段御察當に御座候。
  右如何体御糺御座候共覺無御座、且老人之儀に御座候故記臆も薄く、申聞候者覺無御座候。
 私儀要藏召連、善光寺え致參詣候儀有之筈、其始抹可申上旨御尋に御座候。
  兼而善光寺え參詣之儀を心懸罷在候故、家内示談仕候處、親類之内一人召連可罷越樣何れも申聞候に付御尋之通要藏同道仕候。
 右何頃出立に而何頃罷歸候哉、且要藏御關所過書願方致如何候哉与御尋に御座候。
  當七月二十日出立仕、甚だ指懸り候故私手代要藏与申名目に而過書相願罷越、八月十二日に罷歸申候。
 要藏は寺中百姓に相成、御郡方人別之者に候故私下人与申達候而は御縮方相立不申、如何相心得罷在候哉与御察當に御座候。
 其儀は指懸り候故心付不申、要藏与申名目を顯し人高揃ひ候故、不指支儀与奉存候段申上候。
 自分任勝手御縮方を相背罷在、御詮議方を輕じ不心付抔与申上候儀、不埒至極与御叱御座候。
  段々御察當之趣、一言申上譯無御座候。
 右善光寺より罷歸侯節、潟内異變之風評承り不申哉。且迎に罷越候者も無之哉与御尋に御座候。
  其節岩瀬(越中)迄下人喜助与申者罷越候得共、風評之儀等何等も承り不申候。
 他國より罷歸候處え迎之者參り候得者、御國元に而珍敷咄は可致筈。尤喜助手前御尋之所、私等え申入候旨申上居候得者、不承与申儀難御心得、如何之譯に候哉与御尋に御座候。
  喜助儀は如何申上候共、其節右樣之噺承り不申、家内安全并喜太郎忰痘之儀之咄之外一切承り不申候。
 其節要藏致調筆、私等之名前を以宅え紙面指遣候筈。右書面に都合能与有之、其趣意何等も調無之。右は定而潟之内え石灰等を流し候一件之事に而可之、在体可申上与御糺に御座候。
  右都合能与申儀商用船之儀に而、紙面之儀は要藏調候得共、文面等一々申含候儀は無御座旨申上候。
 要藏に而者致仰書候旨申聞、申口致齟齬候。如何之儀に候哉与御尋に御座候。
  一々文面申含に而者無御座候得共、私之意請候得者、不取敢仰書与申物に而可御座候。
 右歸之節風評一切承り申儀無之哉与御尋御座候。
  歸着仕候節は川尻村よりに乘り、眼前に魚之死候儀見受候迄に而、其外途中に而承り申儀無御座候。
 他國より石灰取寄申儀無之哉御尋御座候。
  其儀は前々より取扱不申候得共、笠荷問屋仕居候得者、他國え遣候戻りに少々積參り候儀は難計候得共、先は所方え積參り申儀無御座候。喜太郎商賣方に取扱申儀も無御座候。
 御引揚有之候諸書物御調理御座候所、石灰之仕法書等有之、此儀は如何与御尋に御座候。
  其儀は一向無御座筈与存候得共、隱居仕候後、源徳丸与申船敦賀通ひ仕候に付、石灰積入申候事も御座候哉、當時之儀は委敷存不申。段々被仰渡之所に而は、右樣之儀も御座候哉、私に而は取扱不申与存罷在候故、在体存込之儘申上候。
 油取寄申儀は無之哉与御尋に御座候。
 松前通ひ仕候船には、私に限り不申、都而積廻り下の關に賣捌申儀に御座候。所方え引取申儀、慥に難申上候得共、先は近年取寄申儀無御座候。
 喜助儀は南部より何時頃罷歸り候哉与御尋御座候。
  右は南部に而船作事等仕、陸通り罷歸り、聢与覺は無御座候得共、暑さ之時分与存居申候。
 右之通り申上候處、實正与は御聞受難成、尚近々御糺之品も可御座候間、先是迄之通り御縮所え被入置候旨被仰渡、奉畏候。以上。
    子九月十九日(嘉永五年)                       錢屋五兵衞

       ○

                                 錢屋五兵衞口書
 私儀今日御引出、重而御尋之趣在体に可申上、近頃笠舞村九兵衞方え罷越儀無之哉与御尋に御座候。
  爾与日は覺無御座候得共、善光寺より罷歸り候御屆に八月廿七日歟御奉行所え罷出候刻、九兵衞方え久々罷越不申故見舞旁罷越申候。
 九兵衞方え罷越候は、何等之譯に而罷越候哉与御尋に御座候。
 去年來參り度と存候處彼是相後れ、御奉行所え罷出候事故幸に罷越候儀に御座候得共、何等之咄等不仕候。
 要藏御咎被仰付候後、又々同人方え罷越候儀有之筈与御尋に御座候。
  私儀金澤え罷出居、要藏御引揚之儀何等も承り不申。九兵衞方より戻りに候哉、駕舁之者共より御引揚之旨當月三日途中に而承り、何共驚入、直樣小倉屋次助方え罷歸候儀に御座候。
 左候へば九兵衞方え當月三日に罷越候哉与御尋に御座候。
  同人方え參り候日は何日に候哉、前廉に候哉爾与覺無御座、何れ要藏御引揚以前に御座候。
 要藏御引揚之儀は存不申候得共、潟之内え石灰・油等入候風評之趣は承り居候事に候間、定而同人え相咄、何歟頼入之儀可之哉与御尋に御座候。
  右は兼而風評承居候儀も御座候間、必要藏身分之儀頼入候に而可御座、慥に覺無御座候。
 曾谷村文右衞門・笠舞村九兵衞同道に而私方え參候儀有之筈与御尋に御座候。
  私儀金澤小倉屋次助方に罷在候處、文右衞門等三日之夜中歟罷越候儀御座侯。
 右は何等之用事に而罷越候哉与御尋に御座候。
  要藏御咎之見舞に罷越、氣之毒之儀申聞。私打臥居候而、何等之儀も申聞候儀無御座候。
 廣瀬七郎左衞門方え罷越候儀有之筈。何等之用事有之罷越哉与御尋に御座候。
  一度罷越候儀は御座候得共、月日は覺無御座。右は久々罷越不申候に付、見舞旁罷越候儀に而可御座、爾与覺無御座候。
 善光寺え致參詣候節、要藏を私手代に申なし御過書奉願候儀、喜太郎承知可罷在与御尋に御座候。
 此儀出立前日申出候事に而、同人は必存寄不申哉与存候。
 右參詣罷在候節、私・要藏途中大小帶候儀可之筈与御尋に御座候。
  私は先年御手船御用被仰付候節、御改所に奉願、大小帶候儀御座候に付、指支不申儀与存帶罷越候得共、要藏は一刀帶罷越儀に御座候。
 當時御手船御用も不仰付、私用に帶候儀如何之譯に候哉。要藏は百姓之身分に候得者尤帶候儀在之間敷、如何相心得罷在候哉与御糺に御座候。
  私儀途中往來共駕に乘申候に付、私之分要藏帶候儀可御座候。手船御用之刻奉願、御聞屆之上帶候儀に而、うかと相心得罷在、只今御察當に何共奉恐入、一圓申上譯無御座候。
 要藏儀、途中馬乘明き候羽織著罷越筈与御尋に御座候。
  此儀は著用罷越候儀相違無御座候。
 百姓の身分として馬乘明き候羽織著用不相成候。如何与御尋に御座候。
  此樣はうかと相心得申譯無御座候。
 右之通申上候處、是迄之通相愼罷在候樣被仰渡畏候。以上。
    子九月廿四日(嘉永五年)                       五  兵  衞

       ○

                                 錢屋五兵衞口書
 私儀今日御引出、潟一條之儀に付私下人長助御詮議御座候處、當六月私宅に而要藏并喜太郎手代市兵衞・私三人罷在、其節油樽一つ長助に要藏宅迄爲相運、罷歸候途中に而要藏に出合、右油樽之儀不他言樣申入候儀有之。且其後又候又右樣之樽壹斗餘り入候分、私指圖に而同人に爲持運候儀有之。其後長助足痛在所五郎島村に罷在候節、手代市兵衞罷越、先日之油樽之儀曾而致他言間敷旨申入候儀有之候段長助申上候付、市兵衞手前も詮議御座候處、相違無之旨申上候。右は五郎島村與兵衞等致船積、笘小屋迄持屆候油樽に相當り候。左候得者右油毒油に付、要藏等右樣重々致口堅候に而可之。右は何方より取寄候哉私存居申儀に有之候間、可申上樣御糺に御座候。
  右は下人長助如何申上候共、私儀は聊も存不申段申上候。
 開所發頭人に相成、往々(ユク〱)家祿の爲に致度旨兼而之願望に候得者、潟内之魚を絶し、潟縁村々小前之者共渡世を失ひ候所を見込、潟中不殘開立候樣之大成奸計より事起り候儀に而可之。無左而は毒氣に觸れ候魚を喰候鷄・犬、殊更大根布村等死亡之者數多之儀。左候へば容易之毒氣に而者無之、定而南部タナブ(田名部)山本理右衞門船頭久次郎持參之由、手代市兵衞申口に而相顯候。右は蝦夷地之産に候哉、又は蠻夷之品に候哉、在体不包申上候樣重々御糺に御座候。
  市兵衞等如何申上候而も、私儀は一圓存不申候。
 左候はゞ要藏自分に取寄候儀に而可之。此儀存罷在候哉与御糺に御座候。
  要藏儀は、纔之金錢に而も私え示談不仕而者兼々取扱不申儀に御座候間、左樣成毒油等取寄申儀一圓無御座候殿申上候。
 左候はゞ最前御糺御座候通、右毒油等潟内え流候儀等、私主謀与成り夫々及指圖に候儀に而可之、纔之金錢すら及示談候儀に候へば、右樣石灰等取寄候儀は於私存不申与申儀無之筈。喜太郎手代市兵衞初數人申顯候儀に候得者、私不存与申儀全僞り与被思召候間、在体可申上旨嚴重御糺御座候。
 餘人は如何申上候とも、於私右樣之儀一圓存不申儀に御座候。
 右之通申上候所、慥成證據を以御糺之儀に御座候所、此期に至り未相僞候段重々不屆至極。尚近々御糺之儀も可御座、先是迄之通り相愼み罷在候樣被仰渡、奉畏候。以上。
    子十月二十九日(嘉永五年)                      五  兵  衞
錢屋五兵衞詮議屆〕