石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第三節 錢屋五兵衞

錢屋の工事主任は、初め石川郡笠舞村新田裁許嘉兵衞に託せしが、嘉永四年嘉兵衞は病歿したるを以てその子九兵衞をして代らしめ、五年五月埋立に着手せり。而してその工區には、所々に番小屋を置きて妨害者の警戒を嚴にせりといへども、村民等往々小屋を破壞し堤防を崩し、湖中に打ちたる亂杭を除き、殊に沈設せる粗朶中に潛伏する魚族を捕獲せんが爲に材料を流失せしむる者ありしかば、到底容易に事業の完成を見ること能はざるの状況にありき。五兵衞乃ち急激に工事を進捗せしめて漁民が妨害を加ふるの餘地なからしめんと欲し、一は附近の魚族を鏖滅して彼等の來漁を防ぎ、一は土壤を緊縮せしむるの目的を以て石炭等を、湖中に投じたりき。然るに之が結果なりしや否やは明瞭ならざるも、七月二十七日頃より魚族多く死して水上に浮び、八月初に至りて益多きを加へしのみならず、鳥類の之を啄みて命を殞すものありしかば、工事を妨害せんと欲するもの之に乘じて五兵衞・要藏等を讒謗非議し、亦事の容易ならざるべきを慮り、漁民に糧米を給して湖魚の賣買を禁じ、又暫くその漁撈を停止して事の眞相を究めんと欲したりき。然るに八月十八日湖畔大根布村の漁民等、公魚・大場鮴及び白鮴を網して之を食せしに、翌日に至りて暴吐暴瀉し、廿四日には彦兵衞以下六人、廿五日には源太郎以下四人の死者を出しゝかば、人心益恟々たるに至り、先に七月二十日五兵衞が要藏と共に善光寺參詣の爲に發足して八月十二日歸着したりしをも、彼等がその嫌疑を避けんとせし爲にあらずやと揣摩したりき。

 當月々初頃より潟之内鮴等所々に死居候處、此頃に至り鮒・鰻・甘鷺(アマサギ)等夥敷死有之、右死魚喰候鵜・鳶・烏も死申候。併(シカシ)伊勢鯉・鯰・索麪鮴死申躰未だ見請不申候。右は何等之所爲に御座候哉、私共村々獵業稼而已罷在、外海不獵の節は專ら内潟(河北潟)獵業仕來申候處、此體に而は潟之内鮴等死絶可申哉と獵師共一統相歎罷在候。依而此段御注進申上候。以上。
    子 八 月(嘉永五年)             向粟崎村(河北郡)肝煎  藤 三 郎
                      大根布村肝煎  久右衞門
                      宮坂村肝煎   長左衞門
                      荒屋村肝煎   仕 兵 衞
                      室村肝煎    重左衞門
                      大崎村肝煎   作右衞門
                      内日角村肝煎  與右衞門
      白尾村 清兵衞(十村役)樣
〔錢屋五兵衞處刑一件書類〕
       ○

 此節潟之内魚死浮、追々鮒・鰻・鮴・甘鷺抔多流出申候旨獵師共等申聞候に付、見受申候處相違無御座候。且又右死魚を鵜・鳶・烏・猫抔喰候得ば、其鳥・猫も死申候。右は何等之譯に御座候哉、慥成儀相知不申候。此段御注進申上候。以上。
   子八月十一日(嘉永五年)            石川郡粟村肝煎  安 兵 衞
                      北間村肝煎  新右衞門
                      須崎村肝煎  忠  八
      田井村 他次郎(十村役)殿
〔錢屋五兵衞處刑一件書類〕