初め要藏等の
埋立新開を出願するや、沿岸七ヶ村の漁民は生業を喪ふに至らんことを恐れて直に反對の運動を起したりといへども、固より富豪輩の反省を促すに足らず。且つ當路の
藩吏にして苞苴を受けたるものありしを以て、遂に何等の功を奏すること能はざりき。この事既に物議を釀すの因たりしのみならず、木屋・島崎の
埋立は小
規模にして、その土工も亦近村の漁民を使役したるに拘らず、
錢屋の
新開は二千九百石たるべきを豫期せられ、工夫を
能登の黒鍬に求め、
鳳至郡甲村の理兵衞をして之を引率せしめしかば、非難の聲益熾なるに至れり。