石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第三節 錢屋五兵衞

河北潟五兵衞の居村宮腰を北に去ること里餘に在りて、巨浸漫々周回六里餘に達す。五兵衞乃ち以爲く、この湖水を填夷して數萬頃の美田を開拓するを得ば、上は庫の收人を増すべく、下は民業を豐かならしむべきのみならず、要職をして十村たらしむるの目的も亦容易に達し得べきなりと。即ち先づ石川郡曾谷村の新田裁許文右衞門に謀りて設計を試みしめ、河北潟沿岸粟崎村の豪富木屋藤右衞門及び島崎徳兵衞と協同事に當るの利便多かるべきを思ひ、要藏と三人の名義を以て嘉永二年湖畔の埋立新開を出願したるに、幾くもなくその許可を得たり。而して工事の目的は、河北郡東蚊爪村・大浦村・木越村・大場村に高千二百石、才田村・今町村・利屋町村・八幡村・二日市村・岸川村・太田村・潟端新村に高千七百石、八田村に六百石、領家村・指江村・狩鹿野村・内日角村・大崎村に高千百石の田地を得るに在りき。