石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第三節 錢屋五兵衞

世に有名なる五兵衞の疑獄事件は、彼が領内の大湖水河北潟の一部を埋立てゝ耕地を得んとしたるに基づき、而してこの埋立工事に着手したるは、彼が再び財力を回復したる後に起れり。初め五兵衞に三男あり。長は前に言へる喜太郎にして、次を作八郎といひ、季を要藏といへり。佐八郎は家に在りて兄の業を助け、要藏は初め出でゝ錢尾與三八に養はれたりき。天保十年五兵衞の定めたる家憲中一も要藏に言及せざりしは、彼が既に與三八の嗣子たりし爲にして、その後與三八は一子與十郎を擧げたるを以て要藏を離別せり。故に十四年喜太郎の一類付には要藏の名を載せたるを見る。要藏才氣煥發頗る父の風ありしを以て、五兵衞は之を鍾愛すること他に超え、爲に一家を創立して宮腰の近邑寺中に居らしめ、又藩吏に請託して新田裁許の職を得、後班を進めて十村たらしめんと欲せり。然れどもの制、十村に任ずる者は悉く農民中の舊族名門より採り、否らざれば新たに拔群の功績を認められたるものならざるべからざりき。是を以て五兵衞は要藏をして一大事業を成さしめんと欲し、遂に河北潟埋立を計畫するに至れり。

錢屋要藏筆蹟 石川郡清水桃吉氏藏