石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第二節 黒羽織黨及び海防

是等の諸論、或は攘夷を叫び或は和親を唱ふるも、我が國軍備の振はざるを自覺し、海防を修め兵器を充たし、戰法を變じ士卒を練るの必要を認めたるは皆同一なり。是を以て、の當局も亦こゝに注意する所ありて、着々改善するもの尠からず。遂に安政三年正月廿八日、斷然從來の弓手を廢して銃卒たらしむるに至れり。この年二月三日齊泰江戸に在りて老臣に諭して曰く、凡そ今日の時務は海防より急なるはなし。而して我が封境の海岸は數十百里に亙り、その施設一朝一夕に能くすべきにあらず。况や頃者江戸震災に罹りしを以て、費用頗る繁多にして遂に財政を紊り民に禍するあらんことを恐る。この際執るべきの途は唯節儉を勵行するに在るのみ。然れども有司等余の意を誤り、單に支出を減ずるを以て節儉の道を得たりとなし、爲に窮民をして身を措くの所なきに至らしむる勿れ。たゞ余の左右及び後庭の費用に於いて抑損すべきものあらば、勉めて之を直言すべしと。然るにこの年幕府は、江戸城が前年の震災によりて破損したるを以て、これが修補の經費を諸侯に課し、加賀藩に對しては五ヶ年間に金十五萬兩を納附すべきを命じたりき。齊泰即ち本年の醵金額三萬兩を納附したりしも、翌年に至り臨時の海防費以外到底自ら支辨すること能はずとなし、殘餘の四ヶ年間諸士知行百石に對し一ヶ年十匁の率を以て借上を行ふを命じたりき。