石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第二節 黒羽織黨及び海防

米艦來航の事ありしより後、論頗る囂々として沸騰したりしが、その多くは鎖港攘夷を主張するものにして、書を著し文を作りて慷慨せり。狩谷金作竹鞆は即ち其の一人なりしが、彼は駁蘭長賦を詠じ、洋夷の卑しむべく皇國の尊ぶべき所以を説き、立言の根據を神典に採りて、西洋諸民族は諾冉二尊が不肖の子なる蛭子神の苗裔なりとし、彼等が商業を以て富國の最上策とするの理由一にこれによると論じ、且つ彼等の測算・醫術に精しきに心醉して、我が國家の精華を忘るゝに至れるもの多きを痛罵せり。今日を以て之を觀れば、竹鞆の所見の極めて固陋獨斷なるを惜しまざるを得ずといへども、多く時人の言はんと欲する所を言ひ得たるものにして、實に痛快禁ずる能はずとせられたる所なるべし。又竹鞆と時を同じくして石黒嘉左衞門千尋あり。千尋は大に竹鞆と説を異にし、外國と親和するを以て我が建國の精神に添ふ所以なりとし、爲に海外互市適神旨歌を詠じたりき。この歌は今之を得る能はずといへども、千尋が他の著書なる來舶神旨を見るときは略その主旨の存する所を察すべし。來舶神旨によれば、我が國の外蕃を招撫するは元來日神の宏謨なること、これを延喜式所載の祈年祭・月次祭の祝詞によりて知るべし。されば今西洋諸國が方物を献じて我に交易を求むるは我が祖宗の遺旨に適ふものなるが故に、宜しく之を許して皇國潤富の基礎を確立すると同時に、また我が威武を宣揚して外侮を未萠に防ぐの方法を講ぜざるべからず。而して馭戎の道は一に軍備を充實するに在りて、軍備の充實は諸士をして西洋の火術を研究せしむるを先とし、之を輔くるに農兵の徴募を決行すべし。若しそれ農兵の徴募によりて生ずる農事の減退を補はんが爲には、代作人を雇傭せしめてその賃銀より支給するを要す。かくて逸を以て勞に對せば、一朝干戈の間に相見ゆることあるも、勝算歴々として我に在ること何の疑かこれあらんといへり。その立論の正々堂々として微に入り細を穿つもの、實に常世に得易からざるの大文字なり。

 されば迚彼をひたぶる貶し卑むるにもあらず。又日本小國なりとて、我を卑下し彼を尊敬すること尤も有べからず。和蘭・〓咭唎・佛郎察は、其本國を地球圖にて見るに皇國よりも小國也。唯屬國多き等を以、尊大を構へ高ぶる也。兵書に云るが如く知彼知己が勝算の大事なれば、今彼が手前を論じ見るに、彼は屬國多く火術滿備し軍艦堅固也。此三つを憑て皇國を輕蔑するなり。然れども兵を動すは國用を費す所なれば、兵を出すに限あり。同盟を誘引し假令百萬の人數を指向る共、食料薪水玉藥是も貯へ來るに數あれば、三年の碇泊なし得難し。是彼が不利なる所なり。又知己論ずる時は、先手足輕鐵炮甚少く、從來の古炮は隊伍不整、彼が數千の西銃隊伍正きに撃立られては勝算ある事なし。依て古來よりの軍法を改革し、彼と對揚すべく先手は西銃隊を充分に備へ撃寄るにしくべからず。如是せむと欲するには所詮人數不足なれば、皇國の古軍防令に防人を用ひし法に倣ひ、今も農兵を用ふべし。農民を用ふる仕法を試に考るに、日本六十餘州總郡數六百三十二郡あり。一郡より強壯の百姓百六十人宛[十五六歳より 三十歳まで]撰擧して農兵とすれば、十萬一千餘人となる。一月六度西洋劒附炮の調練をなさしめ、[教師諸士等の子弟の 内熟練の者を撰ぶ。]一年六十度、[雪國は十二 月除之。]農業作人の雇料並に其身食料等の雜費金として一日一人貳匁五分宛渡べし。右の入用金並農兵へ渡す西洋筒・雷粉(ドンドル)・鹽硝等の入用金、過分の事にて出途なき時は町・在より出さすべし。其申渡方を試に云ば、外寇の爲御手當海防堅固至極被成、町・在の御國民安穩に爲住給との御軍配の處、就之は不容易御物入にて不行屆御事に付、百姓は高一石に八分、町家は屋一軒七匁宛、年限等を以上金可致旨御所置有度事なり。海防手厚なし置給ふは天下萬民の爲なれば、二箇年百姓持高一石に八分、町方一軒に七匁位の出金は、少分の事なれば難澁する事なし。速に農兵を海防に用ふる法を取立らるべし。下愚不肖といへども熟心算するに、先農兵十萬一千人、輕卒十五萬人、武士の炮術する人五十萬と見れば總計七十五萬一千挺の鐵炮也。此外に刀鎗を持て各戰をなさむとする諸士幾十萬騎ぞ知るべからず。自國なれば薪水に事を闕く憂へなく、萬事彼が軍艦と違ひ自由なり。於茲勝算疑ひあらねば恐るゝ所なし。唯緊急の所は、諸士も西洋流の火術を研窮し、先手數千の炮隊を備て撃挫かむが爲に、多く農兵を用るの政を施すにあり。人力の限りを盡し防禦の不及所は、諸神擁護の神國前條數多の先蹤を擧るが如し。冥助ある事今迚も疑ひ有べからず。
〔來舶神旨〕