石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第二節 黒羽織黨及び海防

その後、我が國と英・露との關係漸く切迫せしといへども、内に何等の異状を見ず。而も文化六年三月江戸本多利明に仕へて俸二十人扶持を食み、七月金澤に下りて齊廣の爲に泰西の事情を説き、或は軍艦の模範を示し、重臣中の知識を求むるもの亦之を招きてその説を聞くや、益外國に對して戒心すべきものあるを悟らしめたりき。利明の行状に就きては政鄰記に之を載するものあり。蓋しこの大經濟學者の傳記を補ふものにして、多く得易からざる史料なるを以て今併せ録す。

 本多三郎右衞門(利明)今日(文化六年十一月二十四日)戸田五左衞門宅え招有之、自分儀(津田政隣)も罷越。
 一、三郎右衞門今年六十六歳之處、いまだ五十計と相見え、皮膚肉膏潤澤有之、眼耳氣根歩行等達者、齒は少々不宜候得共、大抵之剛物食事不差支旨。且年若き比より、夜は子之刻前後に臥、寅之上刻に起、卯上刻飯二椀[一合 之由]食し、夫より半刻に二椀食し[前記之通一合、一 ヶ日に二合宛也]此外一向に食し不申候。併寒氣等之節は、温酒至而少し大抵三勺計を子刻臥候頃迄に飮、尤肴等一圓用ひ不申、茶菓子類等曾て給(タベ)不申候。兎角大食大酒甚不宜、畢竟夭死之基也。三郎右衞門儀右之通相守候故か、是迄持病等煩候事一圓無之、風邪は折々有之候得共不日に平復致し候。人は動物、兎角小食に而身を働動致し候儀何よりの藥。左候得ば長命の基也。食量右の通り極置候得ば常に成、敢て空腹にも成不申物に候。勿論右兩度の食事は甚相進み、添物用ひ不申而も美味至極に而、誠に肉膏運行の儀心に覺るが如しと云々。
 附、戸田亭に而酒は小徳利に入、小葢にはべん(半平)等五品飾、三郎右衞門の側に出し置候處、時々自酌に而微飮、肴は始終の内はべん一切・薯蕷一切ならで給不申。且又切魚之吸物出候處一椀給べ候。右之外懸合、飯一汁三菜認出之。飯は勝手次第、何成共少々酒之肴に被給候樣五左衞門再三挨拶之候得共、忝旨慇懃之應對計に而、一向に箸は付不申候。生質謙退辭讓至極、莨も給不申躰に各見受居候處、退出前に至りたばこは不用哉と尋候處、好物之由申聞候に付、何故先程より給不申哉と尋候得ば、扣罷在旨申聞候に付、不用事と心得不挨拶候。早速御給候樣申入候得者、左候ば御免と申聞、數ふく給べ、其外應對之要々には必手を突、甚慇懃なる性質に候事。
 一、蠻國之風土、大洋廻航之話、蝦夷地之話等品々有之候得共、長話委曲不記臆
〔政鄰記〕