石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第二節 黒羽織黨及び海防

近藤信行は通稱兵作、本組與力近藤瀬左衞門の嗣子なり。弘化四年父の後を襲ぎ、祿百八十石を食み、頭並に班し、勝手方に補せらる。信行最も財務に通ずるを以て計畫する所多く、嘉永五年藩侯齊泰財政改革に關する意見を徴するや、信行は農民雜税を輕減し、士庶の奢侈を矯正し、廳内の冗費を省略し、武備を充實し、物産を振興し、學政を修補すべきを條陳せり。安政元年長連弘の罷められしとき、信行も亦黜けられしが、文久三年再び頭並に復し、慶應二年十月その子岩五郎信成のことに因つて祿百石を増し、明治三年九月に至り退老せり。後名を翁と改め、六年十一月十一日歿す。岩五郎信成は蘭語を學ぶが爲長崎に留學し、薩の士石神良平の加賀藩の名を辱しめたるを怒り、之を斬殺して後自刄したるものなり。