石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第二節 黒羽織黨及び海防

黒羽織黨が實用の學を鼓吹せしことは前述の如し。而してこの際社會教化の具として心學の流行を見たることも、亦その基因する所、學が實踐道徳の上に多く裨益する所あらざるを以て、之が缺陷を塡補せんとするの運動と見るを得べきものなりき。元來心學は、神儒佛を融合統一し、賢哲の格言を敷演して俚耳に通じ易き卑近の説話を試み、以て勸善懲惡の目的を達せんものとし、坂・江戸等各地方に於いて、その學に志しその教に從ふ者某社・某會と稻する團體を組織し、月次定日に同志を集めて講説し、若しくは講讀せるところを集録上木したりしが、その初めて加賀藩に入れるは、文化四年十月二日手島流の心學脇坂義堂が、江戸よりの歸路來りて講演したる時にあり。この際市人の聽聞する者甚だ多く、爲に會場を米中買集所に移すの盛况を見たりしが、しかもその後直に此の學に志すものとてはあらざりき。然るに安政の比に及びて漸く心學の有益なるに着目するものあり。町奉行も亦之を採りて風教に資せんと欲し、五年六月に請ひて許可を得、割揚足輕田邊喜藏の外、表方坊主中その學に精しき者を擇びて講師となし、老幼男女を集めてこれを聽かしめたりしかば、大に時好に投じて世の歡迎する所となれり。而も心學は單に修身齊家の學たるに止り、進みて治國平天下の術に容喙することなかりしを以て、その學徒は黒羽織黨の如き抑壓を受くることあらざりき。