石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第二節 黒羽織黨及び海防

作之丞の學説を奉ずるものゝ中、その地位の最も高かりしを長連弘となす。連弘は幼名を音吉と稱し、長じて又三郎・將之佐又は九郎左衞門といへり。實は本多安房守政禮の次子なりしが、文政十一年長甲斐守連愛に養はれ、尋いで連愛の後を襲ぎて年寄職に任ぜられ、人持組頭・勝手方主附を兼務せり。天保中連弘、作之丞の議論を實地に試みんとするの意ありしが、奧村榮實は之を當世に害ありとなし、門前虎を逐へば後門狼至ると慨歎ぜり。蓋し寺島藏人を猛虎とし、作之丞を戻狼に比したるなり。當時藩侯齊泰最も榮實を信任し、言ふ所行はれざるなかりしを以て、連弘は復如何ともする能はざりしが、天保十四年榮實の卒するに及び、漸くその意見を廟堂に施すことを得、弘化・嘉永の間に亙りて、割場奉行關澤安左衞門房清・算用場奉行水原清五郎保延・勝手方近藤兵作信行等同志數十人と相謀り、財政を整理し宿弊を芟除し、冗員を陶汰し贅費を省略せしかば、その政績頗る見るべきものありき。