石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第一節 奧村榮實の献替

この年十二月十六日老臣本多播磨守政和・横山山城守隆章・前田美作守孝本・長又三郎連弘・奧村内膳惇叙、藩侯齊泰上書して曰く、今や國用足らずして庶民を窮苦の中に救ふこと能はず。然りといへども、今日の凶荒に當りて之を救ふこと能はずんば、廉耻益亡びて譎詐行はれ、醇風敗壞して生計を失ふもの多かるべきを以て、奮發勵精庶民をして各その所を得しめんと欲す。惟ふに侯の仁心至大、而して旨を奉じてこれを領内に布くは有司の事にして、有司のその人を得ると得ざるとは實に余輩老臣たるものゝ責に存す。故を以て臣等須く侯の意を體して、有司の正邪を甄別し黜陟を正しくすることを勉めざるべからざるも、臣等不敏にして動もすれば他の欺罔する所となり、不明の譏を免るゝ能はず。願はくは侯臣等の愚を憐み、若し及ばざる所あらば直に訓戒を賜はりてその責を全うするを得しめよ。若し夫風俗の革正に至りては、先世以來屢嚴令を發し給ひしに拘らず尚善く化すること能はざるもの、恐らくは政事の未だ宜しきを得ざる所あるに非ざるか。蓋し方今の弊風擧げて數ふ可からずといへども、その最も甚だしきは人情輕薄にして信義を重んぜず、射利に走り廉耻を缺くにありて、その因りて來る所一に政令の不信に基づくものゝ如し。然らば則ち風俗を正しからしめんとするには、先づ政治の局に當る者をして名實相反するの行なからしむるに若かざるなり。且つそれ善治を得んとせば政教並び行はれざるべからず。昔者治脩侯こゝに見る所ありて學校を創立せしも、その法未だ全く備れるにあらず。是を以て自今學政を修補して人材の薫陶に努め、業成るに隨ひてこれを政務の諸職に充てば、則ち風俗の革正を期するに於いてもまた大に裨益する所あるべし。但し此の如きは歳月の長きを要し、府庫充實せる時に當りて爲すべく、現下焦眉の急に應ずべき計にはあらず。今は則ち國用の足らざるに困しめりといへども、救濟の道は必ずしも金穀を散ずるによりてのみ得べしとすべからず。苟も局に當る者その處置宜しきを得ば、恩澤を普及せしむること敢へて難きにあらざるなり。國家の財用に至りては、政事の基礎確立せずんば理財の道全からず。而して政事の基礎を確立するは民を利して生計を足らしむるに在り。若しこの理を知らずして徒らに府庫を充實するを務めば、下民却りて害を被り、怨嵯路に塞がり、害並び臻らんとす。故に財用を足すには必ず民を利するを以て先とせざるべからず。侯にして國を率ゆるに徳を以てすること今日の如くならば、國用の整理亦期して待つべきなりと。齊泰之を嘉納し、益善政を布くを期せり。この上書本多政和以下老臣の名に由りて提出せられたりといへども、實は奧村榮實意見に基づきしことは、學校修補及び財政整理の事の如き皆後年彼の實施せし所と一致するを以てこれを知るべく、榮實がこの年以來老臣の列外にありて樞機に與かりしことは、前に之を述べたるが如くなればなり。