石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第一節 奧村榮實の献替

次いで天保六年冬雪降らず、寒候既に盡き立春の後俄に大雪あり、夏日冷氣甚だしく五穀爲に登らざりしかば、齊泰は七年九月先づその状を幕府に告げ、十月六日教を老臣に下して曰く、頃者改作奉行領内の秋成を巡視して歸り、具に凶荒の状を報告ぜり。是を以て余は農民の艱苦を憐み、夙夜痛心に堪へず。乃ち速かに蠲租及び賑恤の令を布かんと欲す。然るに嚮に天保四年有司をして賑恤を行はしめし際、頗る厚薄の均しからざるものありしと聞けり。夫れ施與は、之を厚きに失するは猶可なるべきも、毫もその恩澤に霑はざるものあるに至りては恕すべからず。今日の凶歉に當り改作奉行たるもの深く思をこゝに致し、忽略の悔を遺さゞるを期すべしと。又貧窮の急を救ひ、密かに米穀を他國に輸出せる奸商を嚴罰に處せり。

 拙者領分作躰、當春來雨降續、暑氣至而薄、一体作物不熟至極之上、別而稻虫付等多く、加之川々度々洪水にて、地許過分及損毛、人家流失彳み所も無之程之向も有之候。然内八月中旬一圓には無之候へども北風以之外強、海邊筋等立毛悉相痛實入不申。全体前段之氣候柄に候處、例よりは冷氣も甚相進、所寄不節、七月下旬雪氣有之、山方之田地者皆無同樣之場所不少、且又頃日に至り候而は烈風度々有之、里方にも所寄高山より氷吹下し、數百ヶ村立毛彌増之及揖毛侯。右之趣に付、何程の取劣に可及哉、損毛高之儀は收納之上御屆可申候得共、非常之凶作に付先此段御屆申上候。以上。
    申九月(天保七年)                          松平加賀守齊泰
〔河 合 録〕
       ○

 天保七年十月六日宮腰町人室屋三郎右衞門、當夏より米等隱匿、密に他國え致廻船。依而同所濱に獅子垣爲結、其内に而生胴仰付。但寛文年中同所に而右刑罪有之由。
 十月凶作に而諸色高直。此節批屋米一升代百二十三文、小豆一升代百五十文、味噌一升代百八十文、綿壹匁に付十二匁五分賣。右に付酒造御差留、此節何方茂賣切無之。
 十二月、昨年作躰不十分内、當年又不熟に付、御家中を初一統給(タベ)候樣、町・在は雜炊給候樣夫々被仰渡。當秋酒造御差留に付、何方茂酒差支、越後等より取寄、一升に付五百文計。
 十二月廿日後より、追々金澤新酒出來、一升に付三匁七分。但三の一造。
〔文化より弘化まで日記〕