石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第一節 奧村榮實の献替

次ぎに文政九年六月九日領内三州に用銀七千貫目徴收の令を發し、同月二十日を上納の期限と定めたりしが、その間僅かに十二日の餘裕あるのみなりしを以て一人として命を奉じたるものなく、晦日に及びて金澤に少數の上納者を見たるに過ぎざりき。而も金澤町民に對する割當額は、彼等の負擔し得べき實力を超ゆること過大なりしが故に、資産の微小なる者も尚その幾分を上納せざるべからざりしかば、愁訴怨恨の聲至る所に起り、或は憂苦の極死を決するものあり、或は竊かに逐電するものあるに至れり。この時石川郡粟の豪商木屋藤右衞門が、負擔を強ひられたる上納額四百五十貫なりしが、木屋にして若し之に應ずるときは資産に動搖を來し、その庇護によりて生活しつゝある多數村民の脅威を感ずること大なりとなし、六月二十一日粟崎橋上に集りて叫喚したる外、加賀の本吉・越中の戸出・今石動・城端・氷見に於いても、亦數百の農民等螺・竹筒を吹きて騷擾する等の事ありて、爲に十年春に及ぶも尚その上納を完了すること能はざりき。

 御用銀高(文政九年)は三州え七千貫目なり。六月九日に申渡して同じ月の二十日にかね上げとの事也。日數漸く十二日が間なり。いかなればかゝる大造の事、かくあわてたる早卒の申渡にやと言人口々に噂せり。
 但遠郡役人出府申遣すに、道中日數三日懸る也。扨夫より直出府したりとて、仕度もあれば一日も可懸。夫より道中又三日也。往返等都合七八日は懸る也。扨出府の上申渡相濟、同役示談の外聞合せ申談等之用向尤有之、品六ヶ敷事なれば別而急に歸村は不成。扨事濟歸村に又三日の道中して、夫より何れも打寄、割符等の示談容易からず。扨右子爲指出着を呼寄るに遠方又彼是日間取る也。此等の事は書記べき事にもあらねども、かゝる事すら心付ざるにやと、其砌人口に嘲弄せし事故記しぬ。
 金澤町之割符仕方身上之見込違ひ、[商工身上之事親子之間にも隱して不言あり。况 や他人の知る處にあらず、見込違有之は尤也。]賄賂申込み、依怙贔負、且此時之御用金高大なるを以て、石持・棒かつぎ・取上婆々に至るまで二百目三百目之割符申付、かね取上たる故愁訴悲嘆之電動大方ならず。
 金澤法船寺町に中村屋喜兵衞と言者あり。此者え六月八日御用申渡之呼出之紙面來りしかば、扨者御用銀の事、今身上之傾き如何ともすべきなき砌、上之程はしらねども所詮なすべき手段なしとて深く心を痛め食も咽に不下体なりしに、其夜に入て首くゝり死ぬ。
 野町二丁目茶屋徳三郎と申ものに御用談申渡せしかば、深く心を痛め、其夜出奔して行方しらず。跡に殘りし老母、其年六拾九歳なりしが心痛のあまり、同六月十三日の夜秤の分をたもとへ入、井戸え身を投じて死ぬ。
 粟崎村木屋藤右衞門上納銀高は四百五十貫也。此老先きに記せし御召米切手只取上之憂深かりしとの事に而、多くの損分家の盛衰に懸ればとて、家計評する事大方ならず。然るに同じ村に居て彼の下に口を糊するもの幾ばく成しが、藤右衞門身上の破滅に至りなば此末いかにして口を糊せんとて、六月廿一日之朝貳百人計粟崎の橋上え集り、口々に喰へぬ〱と高聲を揚げ、夫より廿二日の朝に至りて、惣代として二十人參り、藤右衞門が家の滅せざる樣にとの愁訴也。肝煎は金澤御郡所へ訴出たりしかど、誰取上る人もなく、只能きに諭し遣せとのみ申渡て勞する事もなし。
 小松町には御用銀又仕法の指止らるゝとの命を聞き、輕きものは扉を卸して商賣をなさず。殊に此は先きの令なる小幡左門、仕法調達銀出銀の多かりし事身のほまれに而、あくまで強言進めて過分にくはゝらせ置たりしかば、悲歎愁訴の電動別而甚し。高岡も同敷扉を鎖し悲しむもの軒をならべ、夜に入ては人多く集り聲を上、騷々敷立さわぎ抔して、いかなる事をか仕出すべかりしかば、奉行より出銀割符之事抔恐れ難申出故に、樣々取計ひに而漸く八月の半ば四分一上げを濟せり。[高岡え之高五 百五拾貫目也。]小松も同じ扱に而四ヶ一を濟し、一日〱と過し行きぬ。
 越中戸出村には、御用銀に而身本のものは相ひそみ、輕きものはかせぎなく、其頃戸出米を少しく御召米有り、彌所用米に乏敷、食へぬ〱と町中を百人二百人計宛所々え集り、或は川原え出て聲を揚る事連夜也。本吉湊、今石動・城端・氷見の三ヶ所も、同じ憂を以て四五百人計相集り立騷ぎ、貝を吹き又は竹の筒を吹き、所々え集りし事連夜也。七月九日・十日の頃者別而甚敷立さわぎ、金龍公(齊廣)大祥之御祭り七月十二日なりしに、富山侯より御代香之御使者十日夜今石動止宿なりしに、同所以の外騷々敷、何事をか仕出さんの人氣ものすごく、一睡をもなさずと物語りぬ。
 能・越は所隔りたる故、巨細の憂き事悉く耳にいらず。礪波郡御郡年寄役の物語りに、彼が家に常に來りし大工の肩につぎし尻ふくろばしたるひとへものを着し、腰に金鎚を指したるが、物思ふさまなるまゝ、いかなる憂き事か侍るにやと問たりしに、さればこそあすの烟立兼候我にも五拾目の御用銀あたりたりと言しよし。三州親敷きゝたらんには、いかなる憂事の侍るやらん。
 此御用金は六月九日申渡し、同廿日に上納との事なれども、誰此日に上納したるものなし。金澤町に同晦日に萬分が一を出しぬ。其他は八月半ば四ヶ一を上るも有り、終に文政十年の春に至て尚全く上納は不濟、幾年懸りて上たる人も有と云噂も有り。かゝる大造の事を十二日が間に上げとはいかなる事ぞと、人口々に嘲りぬ。
〔寺島藏人ふぐ汁の咄〕