石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第一節 奧村榮實の献替

財政の缺陷を填補せんが爲に採れる畫策は、その窮境に達すると共に頗る辛辣を極め、文政八年七月に於いては民間より御召米徴收するの法を實行したりき。こは藩用の名を以て現穀を買上げ、之を大坂に輸出して利鞘を所得せんとする方法なりしが、秋冬海上の漕運に堪へざる間はこの米穀切手を當時の金融業者たる銀仲(ギンズワイ)に質入としたるが故に、翌九年春の輸出期に至りては、先づ借銀銀仲に辨濟して質權を解除せしめたる後にあらざれば現穀を船積するを得ざりき。是に於いて四月銀仲よりその切手を奪回して米穀を輸出したる後、銀仲には五ヶ年を期して借銀を支拂ふべきを約し、而して最初の一ヶ年のみ實行したりしも殘餘は全く曖昧の中に葬り去れり。是に因りての不覺利得は三千百拾九貫目に達し、銀仲は同額の損害を被れり。が先に銀仲に與へたる切手には點檢の印を押捺しありしを以て、時人この損害を指して點檢の憂と呼べり。しかも此の際巧にその害を免れたる者あり。金澤袋町の商人越中屋次左衞門・片町の宮腰屋久右衞門・石川郡粟の木屋次助の如きは即ち是にして、彼等はの財務當局に夤縁して機密を探知し、豫め債權を他に讓渡したるなり。是を以て世人その所爲を惠み、多數屋前に群集して將に暴擧を敢へてせんとする如き勢を示したりき。