石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第五章 加賀藩治終末期

第一節 奧村榮實の献替

の制によれば、年寄藩臣中の白眉たる所謂八家の重臣中より交互任用せらるゝものにして、組頭は廣く平士中の才能を拔擢登庸するものなるが故に、二者の權力はその地位と共に著しく軒輊あるを常態とすといへども、齋廣晩年に於いて、齋泰の政を攝行する機關として、組頭を擧げて教諭局を組織せしめ、大小の政務盡くこゝに決するに及び組頭の勢力頓に偉大となり、年寄等は空しく手を拱してその成を仰がざるべからざることゝなり、殊に組頭の一人たりし馬廻頭寺島藏人兢は、學識手腕共に儕輩に卓絶し、最も經世の才に富みたるを以て、巨祿の徒にしてこれに師事するもの十を以て數へられたりしかば、年寄等は之を白眼視すといへども如何ともすること能はざりき。然るに文政七年七月齊廣卒して齋泰の政を親らするに至り、教諭局を廢してその職員を免じ、舊制に遵ひて長甲斐守連愛・前田土佐守直時等を樞機に與らしめたるを以て、政權再び年寄の掌握する所となりたりき。