石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第五節 社會種々相

生活の奢侈と金融の梗塞とは、窃盜を出すの最も好機會たるを失はず。この期間に於いて、藩治時代を通じて緑林傳中の巨魁と稱すべきものを見たるは、その理由實にこれに由る。その一は白屋與左衞門にして、寳暦十二年十一月晦日藩吏捕縳する所となりしものなり。與左衞門は元と能登の産なりしが、金澤に出でたる後白屋に養はれて技を桑原源左衞門に學べり。白屋とは金細工を爲すものにして、源左衞門は彫金の名工たりき。與左衞門性法懦にして、容姿婦女子の如くなりしが、初め賭博に耽りしより女色に溺れ、遂に竊盜を業とするに至れりといふ。與左衞門の爲す所眞に倫を絶し、士庶の倉庫を破ること十七回に及び、甚だしきは庫中に止ること二夜・三夜又は四夜に亙り、晝間の喧騷に乘じて盜品を選擇し、家人喫飯の間を徐歩して遁れ去りしことすらありき。明和元年四月二十七日生胴に處せられ、その男兒の十三歳にして前田孝昌の臣木村惣太夫に仕へし者も、亦連座して刎首に處せらる。堀樗庵の著越廼白波の中に之を傳せり。

                              主計町白
      生  胴                       與 左 衞 門
 右之者、寳暦十三年賊之儀に付召捕遂吟味候之處、數年來數十ヶ所にて賊仕候へ共品物員數相知不申、誰彼寄合博奕仕、且又御馬廻組前波故儀兵衞娘と密通罷在、互に申合其自宅え呼寄隱置、殊於公事場相牢之者申談牢屋を可破仕形有之候事。
 一、せがれ一人有之、死罪に被仰付候事。
〔刑法拔書〕

堀樗庵著越廼白波自筆本 金澤市殿田良作氏藏