石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第五節 社會種々相

富突と共に、金融通の方法として行はれたるは頼母子なり。頼母子寛永中既に行はれたるを見、同二年四月八日發布の法令に『頼母子向後無用之事。』とありて一旦禁止せられたりといへども、この簡便なる金融機關は到底徹底的に禁止し得べくもあらず。或は虎之子と稱し、又は取扱頼母子といひて、多分の投機的性質を帶び、名は頼母子なりといへどもその實は富籤と同じく、之が發企者たるものは不當の利得を占むるを目的としたりしかば、寳暦七年再び令して停止せしめき。

 近年虎之子並取拔賴母子与申名目に而棟取(トウド)之者有之、多分は寺社方えたより寄進などの申立に而致人集、其内には萬人講と名付、富突之樣成儀を取立、其外百人・五拾人の取拔等は數多有之躰。畢竟棟取候者ども過分徳分を考、相加り候者共え者鬮取次第利潤も有之樣子を以て進込、又は紋付と申品も取扱、專博奕同事之趣。且富突札等之類、寺社方寄進之趣に而他國よりも入込、於當地取次之者も有之躰相聞、不屆之至に候。自今右之族於之者可曲事候條、此段急度相心得候樣一統可申渡事。
    八月十六日(寳暦七年)                        横 山 大 膳(隆達)
〔御 定 書〕