石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第五節 社會種々相

市人の機に臨みて一枚刷を發行し販賣の目的に供したることは、その起る所甚だ古きにあるものゝ如く、堀樗庵の三州奇談に、寳潛四年六月金澤古寺町なる修驗者福藏院の弟子寳泉坊といふ者、壯年の客氣に任せて石川郡二萬堂川の深淵に游泳せしに、忽ち水中に引込まれて出でず、やゝ暫くして死屍となりて下流にあらはれたり。夏日水中に溺るゝことは屢ある習ひにして敢へて珍しとせざるに、此の日の風評特に甚だしく、これ一巨鰻の爲しゝ所なりと傳へ、俄かに寳泉坊が鰻と組合ふ圖なりとて、版におこし色繪に仕立てゝ所々の市町に賣出しゝに、買ふ人こぞりて爭へりといへり。當時既に瓦版の系統に屬する印刷物の行はれたるを見るべし。文化以降盆正月番組類の發刊せらるゝに及びて、その流行益甚だしく、天保九年近藤忠之丞が仇討せる際、安政六年八月虎列拉祭の行はれたる際の印刷物の如き、皆現に存して地方新聞紙の先驅を爲すものたるを知るに足る。虎列拉病は時人之をコロリといひ、又三日コロリともいへり。コロリの語が虎列拉の轉訛なることは勿論なるが、又死に至る轉歸の甚だ速かなるを意味せしなり。是を以て人心恐怖に襲はれ、市况頓に不振に陷りしかば、藩吏之を憂へて資を城下に分かち、除疫の爲に祭儀を擧げ、各町に催物を行はしめ人氣の恢復を計りたりしに、坊間直にその番組を剞抂に附して販賣せり。その一種に幣帛を擔ひたる鐘しを描き、催物の番組を袖と裾とに書し、胸部に左の文を記せるものあり。亦以て當時の事情を徴するに足る。

 鐘馗の曰、近年疱瘡は植疱瘡にて毎年になり、われら大きにいそがしく甚込(コマ)る處へ、今度又怪敷惡病降來り世界大流行、頻りと陰氣になりわれらの手にものらず、是は〱と思ふうち、上より莫大の御仁惠にて、大陽氣の臨時まつり被仰渡。頃は安政六年八月下旬、御領一統前代見(未)聞の大繁昌なるごと言語にのべがたく、則金澤のこの大陽氣をわれら躰へかりおさめ、此陽氣にて鐘馗は一働はたらくならば、いかなる惡邪のコロリも退治せずといふことなし。依而この繪姿を家内中に張置ば、惡魔コロりすこしも立よろこと有べからず。ゆめ〱疑なく信心すべしと、鐘馗さままじめにのたまふ。
〔虎列拉祭一枚刷〕

虎列拉祭催物番附 金澤市村松七九氏藏