石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第五節 社會種々相

遊女に關する寛永の禁制はこの期に入りても尚廢せられず、寛保三年・明和三年・天明五年等に頻々としてその令を新たにせられしに拘らず、金澤なる淺野川觀音坂・四軒町・寳圓寺裏門坂、或は犀川馬場・笹ヶ町その他所々に賣女ありし外、別に出合屋と稱するものありて婦女を連行宿泊せしむるの風盛に行はれ、士民の良俗を害すること甚だしかりき。卯辰茶屋町の如きも、亦地名によりて夙くこの種の集窟たりしを知るべく、堀樗庵の著越廼白波に寳暦の頃の淺野川母衣町の事情を記して、『其ほとりは風景の青樓多く、城下の目さへ忍ぶの里もの多くかくし、表に蕩子の魂をうごかし、晝夜入ひたる人多し。』といへり。又侠客綿津屋政右衞門の自記に、觀音坂下に座敷女のありたることを記したるが、同じ條に、當時種々の異變ありし内第一大地震にて黒津船の神主が龍宮に引き込まれしことありといひて、その地震は寛政十一年五月二十六日のものを指すが故に、座敷女の存在したるも亦寛政の頃のことなりとすべし。かくて賣女は公然の秘密として行はれたりしかば、文政三年町奉行山崎頼母範侃等は、寧ろ之に許可を與へて監督を嚴にし、困窮に堪へざる子女をして生活を得しむるを策の得たるものなりとし、三月二十五日藩侯齊廣許可を得、四月四日の令に依りて淺野川卯辰・犀川石坂の兩所に區域を限定して青樓を密集せしめ、一を舊によりて卯辰茶屋町といふに對し一を石坂新地と呼べり。その後者は九月十一日、前者は十月十一日營業を開始す。是に於いて兩遊廓の繁榮日に加はりしが、殊に卯辰茶屋町は絃歌の聲晝夜を分かたざるに至りたりき。

 寛保三年六月十一日
 出合宿仕候儀者、前々より御停止忙候。向後出合宿仕候者於之者、曲事に可申付候。若左樣之者於之者、向三軒兩隣所拂可申付候。此儀外より相知れ候はゞ、其首尾に寄り、其町之肝煎・組合頭役儀取揚可申候。
 右今明日に夫々申渡有之。但町人には目立候裝束仕樣、町奉行より申渡有之。
〔政鄰記〕
       ○

 明和三年六月十九日御觸出
 前々より御停止、且寛保三年にも段々被仰出置候得共、近年猥に相成、女を抱置人集仕、並致出合宿候者多く有之由に付、今般盜賊改方え申越、右族之者有之候得ば、嚴重遂吟味申筈に候。自今ヶ樣之者於之は、本人は曲事に申付、近隣之者も急渡申渡候樣、町奉行へ申渡候。
〔政鄰記〕
       ○

 天明五年六月十五日御觸出
 從前々被仰出置候得共、近年金澤廻り町方並寺社門前地・御郡方支配におゐて、女を拘置人集仕、曁出合宿仕候者多々有之候由に付、今般松尾平次郎え被仰渡、急度遂吟味申筈に候。
〔政鄰記〕
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 觀音坂下に座敷女多く居候内、藤田屋と申家是あり候處、座敷の内虎の間・竹の間・松竹梅を名付、或は上段の座敷もあり、疊のへりは天鵞絨にてこしらへ、其外榮耀高直の品多く飾り、其物數奇たとへん方なし。加程におごり遊所同樣に相成候に、客人越候節高聲ならず、騷ぐにもつんぼさわぎと申てものいはず、唯をかしき風して酒呑ばかり。尤下女などに用事有節は多葉粉盆・灰吹などたゝき、又はせきばらひを相圖にいたし候。尤蠟燭などは相ならず、行燈に前かけをかぶせ、くらがりの遊たり。
〔綿津屋政右衞門自記〕
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 出合宿の儀は御制禁に付、前々より毎度被仰渡之、相顯候得者嚴重御咎も被仰付候得ども、兎角密々宿引いたし候者有之哉に相聞え、風俗にも指障、且又輕き者共困窮に迫り、御停止与乍存不止事、娘等他國へ年季奉公に遣候族も有之、御縮(シマリ)方も立兼候に付、兼而内存之趣ども御達申置候處、近年町方末々輕き者共、困窮におよび候に付、輕き者共渡世の爲旁、此度場所相極茶屋女拘置候儀御指解有之候。仍之場所之儀、上筋は石坂町邊、下筋は卯辰茶屋町邊へ振分可申付候條、是迄内々右宿仕候者共、舊惡御宥免を以茶屋商賣可申付候間、委細之儀は懸り役人まで承合可申候。尤右之通り御差解之上は、以後外場所におゐて内々右樣宿いたし候歟隱賣女指置候はゞ、時々役人相廻り綿密に相しらべ糺之上、嚴重に咎可申付候事。
 一、右場所御差解候とも奢侈成儀は聊仕間敷、家居等も當分は在成にて申付候條、急度相守可申事。
 右之通町中へ可申渡儀に候得共、先當分之所肝煎・組合頭迄心得罷在、一統可申觸儀は猶更追而可指圖事。
    文政三年四月
〔兩茶屋町一件〕
       ○
放下僧
 面白の、加賀の都や江戸にきくとも及ばじ。東には、祇園茶屋町落ち來る客の、音羽の追出しに宵の御客はちり〲。西は寳久寺、下の昌安町廻らば廻れ、水車の輪の仁藏あたりの川浪、河原乞食は水にもまるゝ。袋畠は船でもまるゝ。身請の客はくるわにもまるゝ。太鼓持はうんてらかひにもまるゝ。實まこと、忘れたりとよ踊り子はちんちきちやんにもまるゝ。踊り子の、二つの袖の、臍をかゝへてうちをさまりたる御代かな。
〔謠曲萬壽抄〕