石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第五節 社會種々相

當時淺野川方面に在りては亦妙義芝居の起るありき。葢し卯辰新町附近は最も細長の多く住する所なるを以て、土地の繁榮を招くと共に彼等の生活を豐かならしめんが爲なりと稱し、侠客綿津屋政右衞門の主唱によりて劇場建設を出願し、遂にその許可を得たるなり。但しこの芝居は、之を歌舞伎興行と稱するときは川上芝居を不況に陷らしむる恐ありとて、の承認を得ること能はざる形勢なりしを以て、表面には手踊と稱し、俳優尾上多爲藏の外に妙齡の女役者を混じたりき。妙義芝居の名は、その地乘龍寺境内なる妙義社に近き溪谷に在りしによる。然るに妙義芝居の興行せられしこと僅かに一回の後、川上芝居と共に之を禁止せしかば、政右衞門は善後の策に苦しみて町奉行澤田義門の盡力を求め、卯辰八幡宮境内に假屋を構へて興行の繼續を計れり。寺社奉行前田萬之助之を見て、神社の境内が町奉行周旋によりて使用せらるゝに至りたるを憤り、神職の舊惡を摘發して閉門を命じ、以て庶民をしてこゝに出入する能はざらしめしかば、演劇も亦隨つて行はれざることゝなり、興行主綿津屋政右衞門は全く破産の悲境に沈淪せり。