石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第五節 社會種々相

この頃加賀より出でゝ最も名聲を博したる俳優に、初代中村歌右衞門ありき。歌右衞門は家號を加賀屋、俳名を一先といひ、金澤の醫大關俊安の子にして、幼名を柴之介といへり。柴之介幼より放縱にして讀書を好まず。初め家業を棄てゝ藩士の僕となり、後大坂江戸に流寓すること數年。終に中村源左衞門の門に入りて俳優となり、寛保二年京都の早雲座に登場し、延享四年大阪の大松百助座に轉じて希代の實惡と稱せられ、天明九年中之座に於いて一世一代の狂言を演ずるに至るまで、演技實に四十八年の久しきに及び、寛政三年十月二十九日七十四歳を以て歿したりき。文政六年追悼の碑を金澤卯辰眞成寺に樹つ。その子市兵衞三代歌右衞門となる。俳名は芝翫、後に梅玉といひ、又百戲園とも號し、狂言作者としては金澤龍玉といへり。天保九年七月十三日六十一歳を以て歿す。