石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第五節 社會種々相

亂舞樞要論を著しゝものあり。論旨能樂の尊嚴とその必要とを縷述し、滔々として數千言を列ぬ。浦賀灣頭外舶波を蹴つて來往し、天下の風雲將に暗澹たらんとする時、こゝに思ひを練り精を凝らしてこの閑文字を行るの人を見る。豈これ桃源郷裡春眠正に闌なるの觀あるにあらずや。

 夫亂舞の來歴久し、故に其變態も亦多し。大略能の翁は元神樂にして綏靖帝の朝に興り、推古帝の御宇に又能の面數種を作る。彼の翁を廣益せん爲なり。其後今樣と稱る者世上に流行し、民間の妓娼之を翫ぶ。又田樂・申樂と號する者、星霜移り變り申樂の新曲數多出で、今樣・田樂を古曲とす。足利鹿苑院義滿公の時、神樂の翁・能の申樂混合して今の能となる。遂に國家の大禮に是を用ゐ、其後連綿張行也。今や公侯の御家、其御爵位に依つて規式を別ち定る事漢土の八佾六佾の如し。又公侯冑子より庶人の童蒙に至るまで、其小曲を教習する事尚ほ勺を舞ひ象を舞ふが如く、萬世不易の舞樂と成る也。
〔亂舞樞要論〕
これ亂舞樞要論の發端にして、安政二年八月波吉左平次愛親の述作なりと奧書せらる。