石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第五節 社會種々相

俚諺察形子は諺解察形子に同じ。こゝに甲寅といへるは寛政六年にして、樗庵の遠逝はそれより前十一年天明三年に在るが故に、巣本梅三は師の遺著を懷きて清閑寺に寄宿し、之を同寺に傳へしなり。樗庵がこの書を爲すに至れるは、彼が述作を好めるの癖によりて、偶稗史俳書以外に筆を下したるに因るといへども、亦彼の一子が諸橋大夫にして、居常能樂に親しむの機會多かりしにもよるなり。

 諸橋權進[同名 四世]儀、實者御醫師堀樗庵せがれにて最前長治と申候處、諸橋故權進内存養子に奉願置候處、故權進爲名跡太梁院(前田治脩)樣御代安永八年九月被召出、御宛行十五人扶持被下置、御能御用相勤罷在候。御隱居被遊候後、於金谷御殿茂重き御能等被仰付、度々御用相勤申候。且又御紋付御上下・御時服等拜領仕候。文化六年八月病死仕候。
〔諸橋家系譜〕